2013年10月12日土曜日

太陽光と気力の充実~陰陽の関係

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ここのところ、太陽神である天照大神さまの影響なのか・・・(笑)

目が痛いと訴えている人が多くいるように感じます。


それと言うのも眼科の定期検の時にも、若いパソコンを触る世代ではない、お年寄りや、小さな

子供が、同じように目の奥が痛いと訴え受診しに来ていたことが、あげられますが、そのこと以外

にも、ここのところの10月だというのに、真夏日が続く日本列島です。(笑)


伊勢神宮でのお引越しが行われて、新しい神殿に移られ、本来の目的、いつも若々しいくあられ

ますようにと、すべてのものを新しくしたことにも、活性化された神様がそこに存在することから・・

などと想像します。(笑)


そのために日本列島自体に太陽光が、いつにもまして、強くなってしまった結果、目に影響が出て

いる人が多くいるのかも知れないと考えます。(笑)



最近では、女性が、太陽の紫外線を避けて、夏の日差しを避けている光景をよく目にします。

頭には、帽子、目にはサングラス、手には腕までのすっぽり覆える手袋、首には、紫外線よけの

スカーフにズボンを履いて全身を覆う姿です。 暑いだろうに・・・でした。(笑)

紫外線が良くないと言われ始めてから、こんな格好をしている人をよく見かけます。(笑)



しかし、どうでしょう?そこまでする必要があるのでしょうか?

もちろん白い美肌を保ちたい一心なのでしょうが・・・。(女心でしょうか?)(笑)

せっかくの太陽光をすべて覆ってしまうとは・・・。



太陽光は、骨を作るためには、必要な要素でもあります。紫外線を長時間当たるのは、望まれ

ませんが、ある程度の太陽光を身体に浴びることは重要だと考えます。(笑)

お医者様では、ないので、詳しいことは分かりませんが、私の考えでは、午前中の太陽光は、

とても大切な働きを身体に与えてくれます。



目覚めの活性化、気力の充実など、身体に良い影響を与えてくれると思っています。



まぁ~人それぞれの考えもあり、どんな格好も自由ですが・・・(笑)

ただ、何となくもったいない気がします。(笑)



人は月の影響を無意識に、受けていますが、太陽光にも少なからず良い影響も受けていると考え

ます。ただ今の時期、ちょっと太陽光が強すぎるきらいがあるだけです。



そのために、目に影響が出ていることが考えますが、それも意識の持ち方一つです。


その方法のひとつに、目覚めの良くない時や、元気のない時は、午前中に、朝一番にコップに

水をいれ太陽光に5分ぐらい当てた水を飲むと良いです。(夏場は氷を少し入れて。)

朝食前に飲むと、何だか元気を飲み干す気分で、一日が元気で過ごせます。

(私はそうして、太陽光を頂いています。)(笑)


そして、毎朝午前中に必ず太陽光を浴びます。(全身に取り入れる感覚です。)(笑)


自分の中の充実と気力を養うために、太陽光は、とても重要で有効と私は考えるからです。



心も身体の元気は、自分の内側から・・・(肉体・精神(心)・魂 )なのですから!


月と太陽=陰陽の関係を上手に取り入れて元気に過ごしましょう!(笑)


          ~ そうすれば、きっと素晴らしい自分に出会えるはずですから!(笑)










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2013年10月11日金曜日

子育て本番の時期?~親も成長時期

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今日は、若いお母さん達が子育てに戸惑いが多いと聞き・・・経験者は語るです。(笑)

子育てについての、少し具体的なお話です。(長文です。)(笑)




初めての子育てには、親も不安がつきもの、しかし、子供は親の所有物と考えないことです。


ここで言う所有物とは、親は、自分の子供の親であることに変わりありませんが、親が子供を

自分のいいなりに育てることを言います。


親のいいなりに育つ子供は、反発心が強くなる、もしくは、自分で何もできない子供になります。



親も初めての子供には、戸惑いや不安があり、自分が育った環境や親を思い出し、それと同じよう

に又は、それと反対の育て方を、無意識で行おうとします。

いうなれば、親もどのように子供に接して良いかは、手探り状態で始めていきます。

しかし、、子供には、それを悟られないように、頑張る意識が出てきます。



しかし、頑張れば頑張るほど、良い子供に育てたいという意識が出てきます。


そうなると、誰それに負けないように勉強をさせるとか、あれして、これしてと、とにかく子供に

向ける注文が多くなります。

しかし、そんな関係の親子は、決してうまくいくことはなく、子供の本来の自然の魂の成長をを

妨げることにもなってしまいます。



小学校3年ぐらいになると、しっかり自我が芽生えだし、親の言うことに無意識に反発しだします。

しかし子供自身は、まだ自分では何も出来ないことを分かっているために、親に依存してしまい

親のいうがままになって行きます。(この時期から精神的扱いが、難しくなって行きます。)


親もこのぐらいの年齢には、自分の言うことが通るため、強気の姿勢が通りますが、

ここで考えるのは、親は子供に対し、一人の人間として扱うことが望ましいのです。



一人の人間として見るということは、しっかり子供に耳を傾け、話をよく聞く、何かあれば、一緒に

なって考え、子供の意識を尊重することが大切なのです。




たとえば


幼稚園高等科ぐらいになる子供は、男の子でも女の子でも、台所に立ち、包丁を握りたがります。

そんな時には、忙しいお母さんにしてみれば、邪魔なことで、時間もなく忙しいのにと腹を立てたく

なり、「他に行ってて!」と言ってしまいがちですが、ここは、お母さんの我慢のしどころなのです。



本当に忙しくて早く食事の支度をしたい場合は、邪険にするのではなく、「今日は、皮むきをしてく

くれないかなぁ~?」と疑問形で言うようにします。(包丁を握らすより安全なものを。)

この時に決して「皮むきをして!」と言い切らないことが大切です。


どうしても包丁を握りたい場合は、「今度、子供用の包丁を買おうか?」とお伺いを立てます。(笑)

その時は、大人用の包丁は手に合わないからと言うようなことを言い、子供用の包丁を買っても

らえることに対しての、嬉しい気持ちから、家事を手伝う気持ちに持っていくことが可能なのです。



子供用の包丁を買った時は、普段の食事の時に手伝わすのではなく、土日などの、お母さんが

忙しくない時に、少し早めに食事の支度に取り掛かり、その時に、子供用の包丁を使わせながら

手伝いをしてもらうという流れに持って行きます。


この時も、無理矢理に手伝わせるのではなく、子供が自分から率先して手伝いたいと意識を

出した時に、新しい子供用の包丁を出し使わせます。



ここで大事なのは、子供が率先して手伝いたい意識があることが大事で、一度嫌な思いをして

しまうと、子供は2度と手伝いたいという気持ちが無くなります。


今時は、男の子でも、食事の支度が出来るようになりたいものですが、この時期に可能になります



それは、自分の口に入るものが、どんなものがあるのかを知るきっかけにもなり、健康への配慮

を自然と身につけることが出来ます。


包丁に慣れてくれば、手伝いから食事の中の1品を完全に任せる事で、自分でも出来るという意識

と、たとえ失敗しても、お母さんが、ここはこうした方がいいね・・・と言うのではなく、どこが失敗した

のかわかるかなぁ~?と疑問形にします。


必ず自分で考えさせることが大切なのです。(笑)

そうすれば、おのずと自分で考え、次はうまく作りたい・・・という意識に変わります。



子供の成長は目を見張るほど早いものです。

しかし、子育てをしている親の成長も、見えない形でどんどん成長しているのです。


その親子の成長を、間違った方向に行かせないためにも、子供との距離は、

いつも、「つかず離れず」の距離が良いのです。



しかし、それも、子供が20才までです。

あとは、大人として子供と接する距離を持ち、子離れ、親離れが、自然と出来るようになりたい

ものです。(笑)


子供は、親を選んで生まれてきます。

そして、子供自身の成長と、親の成長を促してもいるのです。



子育ての本番は、10才ぐらい~20才位までが大切な時期です。(精神的子育ての時期)

親もそれに合わせて成長していきましょう。(笑)

そして・・・


            ~ 決して子供に依存しない親でありたいものです。(笑)




















2013年10月8日火曜日

雨降って地固まる~恋愛専科

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雨降って地固まる・・・と言うことわざありますが、このことから考えてみると、雨が降っている時は

とてもつらい思いをすることが多く、怒りがこみ上げる意識に駆られることが多いと思います。


たとえば


恋愛で例えれば、彼氏が、他の女性と親密なデートをしていたのを見てしまった・・・などという

ケースは、本来は、心理的には、彼女である女性は、許せるものではないと思います。

しかし、そんな中で彼である男性が、謝りもう二度としないからと頭を下げた場合、女性は直ぐには

受け入れられないという意識下にあると思います。

しかし、別れる気持ちもなく、結局は許してしまい、絆を深める結果に終わるというケースです。


女性が、その後の心理的に、そのことを思い出さないでいられるか・・・というところがポイントなの

です。人の心理には、過去を引きずり、思い出すことが多く、また自分の感情が維持できるとの

思い込みで、一時を決めてしまうことがありますが、その感情意識は維持できるのか?疑問です。




人は、嫌なことは、忘れてしまいたい・・・と思う気持ちが働きます。しかし、嫌なことを忘れてしまう

ということは、同じことを繰り返す可能性があるということなのです。



この場合、忘れてしまうのではなく、しっかり、彼氏が浮気をしたことを覚えておくことが大事で、

意識的には、彼氏が同じように、他の女性と再びデートをしている現場を見つけても、動じない

だけの意識を持ていることが大事なのです。(別れたくないと思っている時には、特にです。)



この意識を確立出来れば、もう怖いものは無くなるのと同じことなのです。



そのためには、自分の意識が不安定なままで、忘れることで、良しとする意識だけを持ち続け

ると、同じことが起こった時に、また不安定な意識が出てきてしまうのです。



ただし、この恋愛の場合、彼氏が何度も浮気することが、許せるか、自分に問うことが先決です。

同じ過ちを繰り返さないためにも、しっかり自分の内なる声から答えを出す必要があるでしょう。



何度も浮気をされても、別れたくないならば、それを「許す」意識に変えることで、動じない意識で

不安定な気持ちになることは避けられるのです。



しかし・・・1度・2度と度重なる浮気は、治るものではありません。(笑)

母親のような大きな気持ちで、許せる意識であれば、うまく行くはずですが、そうでない場合は

あきらめも肝心と言ったところでしょうか!(笑)



どちらを選ぶかのその答えは、自分の内なる声が導いてくれるはずですから!(笑)


人を変えることは、出来ません。それならば、自分の意識を変えていくことが大切なのです。




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2013年10月7日月曜日

椿大神社への旅~茶色のカエル

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鈴鹿の地にある、椿大神社(つばきおおかみやしろ)の秋の祭典に、今年も参加させて頂き、

片道4時間の電車での長旅でしたが、日帰りで無事帰って来ました。(笑)


私は、車ですーっと行ってしまう旅より、電車を乗り継ぎローカル線を乗り継ぎ行く旅の方が、

好きなので、毎回、大体電車での行き帰りです。(笑)


とても疲れはしたのですが、なぜか心地よい疲れで、久しぶりの長旅でしたが、気分は爽快です。


それと言うのも、祭典が始まって直ぐに、不思議なことに遭遇したのです。(笑)


この椿大神社は鈴鹿山系の中央に位置し、伊勢の平野を見下ろせる位置にあり、周りは木々に

覆われた古くからある神社なのですが、敷地内には小さな川が流れていたり、小さな滝があったり

祭典が行われた場所は、そこからだいぶ離れた所でしたが、始まるやいなや、どこから来たのか、

私の左足元から、ぴょんと跳ねたものを見つけ、なんだろうとよくよく見ると、なんと茶色の色をした

小さなカエルが足元をぴょんぴょん跳ねながら、隣に居た一緒に来た友人の足元に乗ったのです


2人で声を殺しながら大慌て!びっくりしてその5分後には、不思議なことに、どこかにいなくなって

しまったのです。(笑)


どこを探しても見つからず、祭典中なので歩き回ることは出来ずに諦めましたが、祭典が終わって

友人と2人で、あのカエルは「黄泉がえり」を意味しているのでは?と意見が一致して大笑いです。



カエルは=「帰る」と言われることがあり、良く例え話で、「黄泉帰り」と言われることが多いのです。


今の時期は、宇宙的エネルギーによって黄泉がえりを果たす時期、とも言われているので、

この時期に、たくさんのことが起こるとされているのです。


そのカエルは、本当に小さく、茶色のため目に付きにくく、見逃してしまいがちな色でしたが、丁度

座っていた位置は、砂利が敷いてあり、目に付いたのです。(笑)

再度、友人と2人で「幸運だ!」 と大はしゃぎしてしまいました。(笑)



しかし、そんな大はしゃぎも良いのです。こんな小さな事でも感謝なのです。(笑)

幸せとは、本当に小さな発見からもたらされると私は思っています。

祭典が始まったと同時にやってきたカエルは、幸運を私達に運んできたと思えれば良いのです。



そして、その帰りには、行満堂に立ち寄り、神職さんに、しばしの時間、日本の全土の神社のお話

を伺い今年も、いろいろな気づきを頂き、帰って来ました。



一緒にいった友人とも、久しぶりの再会でしたので、帰りの電車の中でも、話はつきませんでした

しかし、なぜか身体は疲れているはずなのに、とても心地よさが残る旅でした。


これも祭典に参加できたこと、カエルとの遭遇を果たしたことの、効果かも知れません。(笑)


自分自身に、「ご苦労さま!」 そしてすべてのことに 「ありががとう!」 なのです。(笑)







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