2016年4月7日木曜日

        迷いの中の心~脱出

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今日は新月(新月ポエム)




迷路のような出口のない細い道に迷い込んだ子犬は
 
 
親を探し自分の居場所もわからないと泣くだけで
 
 
どうしても自分の今の状況を飲み込めないまま泣いている
 
 
そんな子犬のようになるまいと
 
 
心のどこかに置き忘れてきた自分の軸を探して
 
 
道なき未来の道をを探す時
 
 
誰もが不安で誰もが心もとない気持ちのまま
 
 
立ち止まり悩んでいても答えは出なくて
 
 
自分の心の強さだけが支えで生きていくには
 
 
もう十分すぎるほどの心の葛藤と戦い
 
 
それでもなお進まなければいけないと揺れ動く心を見つめ
 
 
どんな時も自分らしくどんな時も焦らないと心に誓う
 
 
 
 
誰もがいつも強い心で今を生きているわけではないけれど
 
 
誰もが自分という心の軸の支えを見つけ
 
 
自分らしく守って行くことで
 
 
生きていく
 
 
 
負けまいと食いしばる力も心の力となり
 
 
泣くまいと振り払う涙もまた乾く時を刻む
 
 
もう少しだけこの世に生まれてきたときの課題に挑み
 
 
もう少しだけ頑張れる力を自分なりに見つけ
 
 
もう少しだけ頑張ってみようと思う
 
 
それがこの世に生まれて来た使命ならば
 
 
生きて行こう自分らしく
 
 
まだまだ負けるわけにはいかないのだから
 
 
 
 
 
 
 
 
~新月ポエム 榊 瑠璃 ~
 
 
 
 
 
 
 
 
 
※ 誰もが道に迷い、弱い心に自分を見失いかける時があります。
 
そんな時に、自分自身を見つめ直すことで、自分の弱さも強さも分かり
 
迷いの中での答えを見つける事が出来ます。
 
そんな自分の心を見つめるきっかけとなって欲しいと綴ったポエムです。
 
 
 
 



                                     もうひとつの榊 瑠璃のブログ3
                                     http://sp-sakaki-rur-3.blogspot.jp/







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2016年4月6日水曜日

新月前~寝たきり患者と家族

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もう、早いもので、4月に入り、新月が、明日なのですよね。(苦笑)

余りの忙しさに、忘れかけていました。すみません。(苦笑)


今日は、認知症を患い、寝たきりの家族を、介護する人に向けてのお話です。



昨日、東京から転院した母の病院で、お花見イベントがあり行って来ました。

ここの病院は、ほとんどが、認知症や寝たきりで、身体が動かすことが困難な人や、まったく意思

疎通が出来ない患者さんが多く入っています。

高齢で、病気を患い、他の病院では、治療する事も困難な状態の人が、こちらの病院に移って来て

治療という治療はしない(お薬を飲める人は、飲ませます。)ですが、、ほとんど、栄養点滴をして

細く長く生きているような方々です。


このような状態の患者さん、私の母も、同じで、寝たきりで認知症で、超うつ病を発症し、食事が

口から取れない状態ですが、CTボートという方法で、胸から点滴栄養をしています。

それでも家族としては、一日でも長く生きて欲しいという、私の意思に沿った病院だったので、

移転を決めたのが昨年の7月でした。


本来は、スピリチュアルな思考からすると、これは考え違いとも言うこととも言えます。

口から食事を取れない患者を、栄養点滴だけで、生命を維持させているのですから、自然の原理

に反したことでもあります。


しかし、CTボートや鼻から管を通して栄養を入れたり、胃瘻をしながら、栄養を口以外で取ること

には、初めは、私も違和感を覚えました。

しかし、それらをしなければ、確実に死に至ります。


何もしないで、衰弱をしていく姿を見たくはないのが、患者の家族なのです。


選択を迫られました、特別養護老人ホームでは、受け入れはCTボートを使っている限り、無理で

胃瘻以外は、ダメなのです。

東京での病院で、転院させるに当たり、病院から病院へ移るのか、胃瘻をして病院から、特養に

移るのか、決めなくてはいけませんでした。



結果、病院を選択したのは、CTボートで生命維持は可能だからです。


これ以上、胃瘻の手術や、痛い思いは、させたくなかったのです。


お話が、それましたが、お花見のイベントは、その病院で、唯一の外へ患者を連れ出すお散歩

をさせてくれるのです。(でも、往復でも、20分ぐらいです。)


数ヶ月前から、母と私との会話は、その桜のお花見イベントのことで、気力を持たせていた状態

と言っても過言ではありません。


母も、楽しみで、何度も、お花見を一緒に行きたいと、願うようになっていましたから。


病院の近くの公園で、満開の桜を見る事が出来た母です。(Facebookには、写真をUPしてます)


認知症で寝たきりの母でも、ほとんど治療薬を使わず(リュウマチ・認知症・うつ病)過ごしています

が、意識は、前よりしっかりしてきて、お花見や、私の家に行きたい、と最近は、言うようになり

自分の意思を、かたことの言葉で話します。(喋れなくもなってきています。)


病院に入院している患者は、母以外でも、喋れなくなっていたり、寝たきりで、意思を伝えてくれる

ような人も少なく、ただ寝ているように見えますが、本当は、寂しくて、言葉や意思の疎通が出来な

くなっていても、ちゃんと人の話は聞いていて、目で話しかけたりします。


同じ病室の(4人部屋)で、2人の人がお花見にいけませんでした。

1人は亡くなる前から、よくお話をしていたのですが、お花見を楽しみにしていたのに、数週間前に

亡くなりました。

そして、もうひとりも、体調を崩し、ナースセンターの横の部屋に移されました。

きっと残念で仕方なかったと思います。


健康でいる私達(私は病気持ちですが。苦笑)は、そんなもっと生きたいと願っている人の気持ちを

家族は、理解し、患者と寄り添う事が出来れば、患者も、もっと幸せでいられるのでしょう。

しかし、私達も、忙しさに、なかなか、そこまで、意識を回せる余裕もない時もあります。


私が言いたいのは、どんな時にも、忘れなければ良いということです。

ちゃんとそういう患者である家族が、寂しく入院していいる事を、いつも思い出すことです。

患者は、いつも寝たきりで、寂しく、言葉の疎通もままならない、自分が嫌になる事があるのだと

思います。中には、早く死にたいとか、家に帰りたいと言います。

少しでも、家族で、その気持ちに寄り添い、5分10分での面会や、言葉がけを、多くできればと

思います。



今は、あなたの年齢で、そんな事を考える余裕も無いかも知れません。

しかし、人は、同じように老いて行くのです。

自分がその立場になったら、と考えられる人でありたいと思います。


明日の新月に、患者も、まだまだこの世に居たい、皆と居たいと、願うことでしょう。


そんな家族に、寄り添って頂ければと思います。






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