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先日のこと、出先の帰りがけの電車でのこと、車内は結構混雑していて、それでも何とか
座れた時の事ですが・・。ふっと横を見ると、何と恩師がそこに座っていたのです。(笑)
何年ぶりでしょうか?
病気をする前の、IT講師の道に進むきっかけとなった先生で、17年前の当時は一番出来が悪い
生徒で、先生も苦労されたことは知りながらも、あれよあれよと、一緒に仕事をさせて頂いたこと
もあり、もう6~7年は有に会っていなくて、時々メールや年賀状でのやりとりだけでしたから・・。
当時は、飲みに誘われ豪酒の先生には完敗でしたが・・(笑)(当時は私もだいぶ飲めたので(笑))
しかし、本当にびっくりで、何とも縁を感じずには、おれませんでした。(笑)
これは、引き寄せの法則ならぬ、引合せの法則だと感じました。
引き寄せの法則は、時として自分の波長に合う人や、これからの自分の人生に、必要な人との
出会いがもたらされます。引き寄せの法則には、その時の成長とともに、別離になる場合と、
そのまま縁として持続した関係をもたらすことがあります。
しかし、引合せの法則は、大事な縁が有りながら、疎遠になってしまった人や、喧嘩別れして
そのままになってしまった人や、その人との関わりが大事な縁で繋がっている場合には、
必ずもう一度引き合わせられます。これは、その人にとって必要な人物であり、これからの人生に
何かをもたらす重要な鍵になる場合が多いのです。
新しい方向に進むとき、大切な縁を持っている方から何かを学び取ったり、感じたり、共有したり
そんな時期なのかもしれません。時代は動いていて、確実に新しいものへと変わり始めている
そんな時期ですから・・・(笑)
これは誰にでも言えることで、意識をして会えるとか会えないといった問題ではありません。
引き寄せの法則や、引合せの法則に乗っていることで、時期にもよりますが、全く繋がらない縁
というのも存在するのです。
その先生は、IT講師でもあり、心理学の講師でもある方ですが、今の私には心理学との波長が
あうのかもしれません。(笑) (心理学=スピリチュアル)
車内での、ほんの短い間の会話でしたが、きっとその先生は、私にとっての大切な鍵となるものを
何かを、お持ちなのかもしれません。(それは意識して感じ取るものではなく無意識からなるもの)
また、いつお会いできるかなどは、まったく予定はありませんが、きっと大切な縁と感じたので
いつかまた、お会いできることでしょう。
「おいおい!もうやめてくれよ~」と言われそうですが・・・(笑)
~そう言わずに、良い縁で繋がっていてほしい方です。(笑)
2013年4月19日金曜日
2013年4月17日水曜日
泣くも人生~笑うも人生
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人それぞれに悩みやつらさを抱えていると思うのですが、それでも毎日笑って過ごせたら、
どんなに幸せか・・・・そんな事を考えながら・・・(笑)
人生短し・・・悔いは残さず
人を恨まず、自分を責めず、周りが見える自分でありたい
「泣くも人生、笑うも人生ならば、これからの人生泣くまいぞ!」※
※は、たしかテレビドラマの中で聞いたセリフです。
先日、眼科の検査でのこと、緑内障の定期検診は視野検査というのがあります。
緑内障でもある私、最近のコンピュータにより、5年後10年後のデーターがはじき出されます。
その結果は目薬が1本から2本へと変わりました。
視野の欠けが進んでいて、5年後を考えた結果の目薬2本です。
しかし、なぜか全然気にならないのです。(笑)
確か非結核性抗酸菌症の症状でも視力が落ちることがあると、何かで読んだ記憶があります。
それでも、いいじゃない!今が見えていれば!・・・(笑)
ちゃんと新聞も読めるし、本も読める、テレビも見れる。5年後10年後生きているかもわからない
こんな世の中で、生きていられればめっけ物で、ならば今くよくよしても始まらない。
そう考えると、笑って過ごした方がいいことありそう!などと勝手な解釈をしてしまうのです。(笑)
誰でもが抱えるつらさは、きっと有り、それでもと考えたとき、今の自分自身を大切に生きること
に気づかされ、それでも何かしていたい・・・と駆り立てられるのです。
これからの人生笑って過ごして「あれ?あの人本当に病気持ち?」と言われたいのです。(笑)
だって一度きりの人生なのだから!(笑)
~ 泣くも人生、笑うも人生ならば、これからの人生笑うだけ!(笑)
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人それぞれに悩みやつらさを抱えていると思うのですが、それでも毎日笑って過ごせたら、
どんなに幸せか・・・・そんな事を考えながら・・・(笑)
人生短し・・・悔いは残さず
人を恨まず、自分を責めず、周りが見える自分でありたい
「泣くも人生、笑うも人生ならば、これからの人生泣くまいぞ!」※
※は、たしかテレビドラマの中で聞いたセリフです。
先日、眼科の検査でのこと、緑内障の定期検診は視野検査というのがあります。
緑内障でもある私、最近のコンピュータにより、5年後10年後のデーターがはじき出されます。
その結果は目薬が1本から2本へと変わりました。
視野の欠けが進んでいて、5年後を考えた結果の目薬2本です。
しかし、なぜか全然気にならないのです。(笑)
確か非結核性抗酸菌症の症状でも視力が落ちることがあると、何かで読んだ記憶があります。
それでも、いいじゃない!今が見えていれば!・・・(笑)
ちゃんと新聞も読めるし、本も読める、テレビも見れる。5年後10年後生きているかもわからない
こんな世の中で、生きていられればめっけ物で、ならば今くよくよしても始まらない。
そう考えると、笑って過ごした方がいいことありそう!などと勝手な解釈をしてしまうのです。(笑)
誰でもが抱えるつらさは、きっと有り、それでもと考えたとき、今の自分自身を大切に生きること
に気づかされ、それでも何かしていたい・・・と駆り立てられるのです。
これからの人生笑って過ごして「あれ?あの人本当に病気持ち?」と言われたいのです。(笑)
だって一度きりの人生なのだから!(笑)
~ 泣くも人生、笑うも人生ならば、これからの人生笑うだけ!(笑)
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2013年4月14日日曜日
魂が宿る石たち
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水晶や石たちと関わりの多い私は、時として石に魂が宿るものと遭遇することが度々あります。
それは、神聖なる御霊と呼ばれるものだったり、逆に邪気を含んでいるものだったりします。
今のところ邪気を含んでいる石には、ありがたいことに、お目にかかったことはありません。
しかし、御霊(みたま)と呼ばれる精霊の魂を含んだものには、何度かお目にかかっているのです。
それらはちゃんと行くべきところがあり(お役目があり)、その前に私のところを経て来るようで、
私としては、とてもありがたいことでもあります。
御霊を含んだ石には、ずっしりした重みがあり、しびれが半端なくきます。また赤いオーラのような
ものを発している場合もあります。(オーラのようなもの=見えない光)
また高貴な御霊の場合は、私ごときには、手に持てない場合もあります。
先日も不思議なことがありました。
知人にプレゼントしたはずの石たちが、回りまわって私のところに戻ってきました。
それらを確認すると、その一つに御霊を含んでいる石があったのです。
私が人にプレゼントをする時は、邪気が含まれていないか確認はしますが、必要以上に自分の手
で触ることを避けて差し上げます。その理由のひとつは、私の念というか意思が石に入ってししまう
ことを避けるため、出来るだけ石には何も入り込んでいない状態でお渡しします。
(※必要以上に触ることを避けたため、今回は御霊を含んでいたことに、気づかなかったのです)
持つ人の思想を、石たちに入れ込んで、共鳴することによって、石たちは、その人の役に立って
くれる石となるのです。その為、他の人が使っていた石は、ちゃんとした浄化を施して使う方が
良いのです。(邪気を取る必要もあるのです。)
石は御霊を始め、人や獣の魂が入る込むことが自然と出来てしまうため、取り扱いには十分
配慮しなければいけないのです。
今回の、回り廻って来た石は、もう少しで捨てられてしまう運命だったかも知れません。
運良く私のところに戻ったので、本当に良かったと思いました。
この御霊を含んだ石は、まだその正体は、はっきり分かりませんが、修行の道をたどる
かも知れません。(笑) 又は、大きなお役目を果たすかもしれません。(笑)
今回のこの石は、まだ新しく、誰の手にもされていなくて、(箱からさえも出されたことがなかった
ようです。)知人には必要がなかったというか、そこへ行くべき石ではなかったようです。
その石が、これからどんな道を行こうとも、捨てられてしまうことを考えたら、本当に良かったと
思うだけです。(胸をなでおろしましたから・・・(笑))
もちろん役目を終えた石たちは手放すことも確かにありあります。
しかし、人の役に立ちたいとの石達の思いが無駄にならずにすんだことは本当に良かったのです。
いつも石は、子供のようと思っている私ですから・・・ 知らずに捨てられてしまうのは、忍びない
のですが、行くべきところでない場合も確かにあり、慎重をきすべきと教わった気がします。
そして、ちゃんと石を見極めることも、人を見極めることも大事だと気づかされました。(笑)
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水晶や石たちと関わりの多い私は、時として石に魂が宿るものと遭遇することが度々あります。
それは、神聖なる御霊と呼ばれるものだったり、逆に邪気を含んでいるものだったりします。
今のところ邪気を含んでいる石には、ありがたいことに、お目にかかったことはありません。
しかし、御霊(みたま)と呼ばれる精霊の魂を含んだものには、何度かお目にかかっているのです。
それらはちゃんと行くべきところがあり(お役目があり)、その前に私のところを経て来るようで、
私としては、とてもありがたいことでもあります。
御霊を含んだ石には、ずっしりした重みがあり、しびれが半端なくきます。また赤いオーラのような
ものを発している場合もあります。(オーラのようなもの=見えない光)
また高貴な御霊の場合は、私ごときには、手に持てない場合もあります。
先日も不思議なことがありました。
知人にプレゼントしたはずの石たちが、回りまわって私のところに戻ってきました。
それらを確認すると、その一つに御霊を含んでいる石があったのです。
私が人にプレゼントをする時は、邪気が含まれていないか確認はしますが、必要以上に自分の手
で触ることを避けて差し上げます。その理由のひとつは、私の念というか意思が石に入ってししまう
ことを避けるため、出来るだけ石には何も入り込んでいない状態でお渡しします。
(※必要以上に触ることを避けたため、今回は御霊を含んでいたことに、気づかなかったのです)
持つ人の思想を、石たちに入れ込んで、共鳴することによって、石たちは、その人の役に立って
くれる石となるのです。その為、他の人が使っていた石は、ちゃんとした浄化を施して使う方が
良いのです。(邪気を取る必要もあるのです。)
石は御霊を始め、人や獣の魂が入る込むことが自然と出来てしまうため、取り扱いには十分
配慮しなければいけないのです。
今回の、回り廻って来た石は、もう少しで捨てられてしまう運命だったかも知れません。
運良く私のところに戻ったので、本当に良かったと思いました。
この御霊を含んだ石は、まだその正体は、はっきり分かりませんが、修行の道をたどる
かも知れません。(笑) 又は、大きなお役目を果たすかもしれません。(笑)
今回のこの石は、まだ新しく、誰の手にもされていなくて、(箱からさえも出されたことがなかった
ようです。)知人には必要がなかったというか、そこへ行くべき石ではなかったようです。
その石が、これからどんな道を行こうとも、捨てられてしまうことを考えたら、本当に良かったと
思うだけです。(胸をなでおろしましたから・・・(笑))
もちろん役目を終えた石たちは手放すことも確かにありあります。
しかし、人の役に立ちたいとの石達の思いが無駄にならずにすんだことは本当に良かったのです。
いつも石は、子供のようと思っている私ですから・・・ 知らずに捨てられてしまうのは、忍びない
のですが、行くべきところでない場合も確かにあり、慎重をきすべきと教わった気がします。
そして、ちゃんと石を見極めることも、人を見極めることも大事だと気づかされました。(笑)
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