2012年6月22日金曜日

金刀比羅宮とのご縁~こんぴら狗

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2か月前ぐらいから気になっていた香川県というところなのですが・・・。

私は一度も行ったことがなく、どんなところかも良く知らないのですが、うどん県ということだけは

知っていて、新築に引っ越した際にも、まずその家の家主が新築の家のお風呂の中でうどんを

食べる儀式があるとかで、びっくりしたことありましたが、それもここ2カ月の間に知ったことでした。


やたらに耳にすることが多くなっていた香川県・・・という地名。

先週も香川県のお土産のうどんを頂いたばかりで・・・(笑)


それに先日、息子が旅行で香川県に行ったのも、何か縁を感じていましたが・・・

そのお土産が金刀比羅宮(こんぴらぐう)の黄色いお守り+ミニこんぴら狗(いぬ)でした。


ああ~これか!と気づかされました。

お正月に見た夢のお話をブログにも書いてますが、まさしく犬が出てきていました。(笑)

まさしく私のところへやって来たお守り(神様)なのです。


江戸時代の頃には、庶民が旅行を禁じられていたそうですが、神社・仏閣を参拝することだけは

別で許されていたそうで、お伊勢参りや讃岐の金毘羅大権現(今の金刀比羅宮)や京都六条の

東西本願寺は旅の大イベントだったようです。しかし、長旅は大変ということで、代理人に頼んで

参拝に行ってもらう人のことを「代参」と呼んでいたそうで、犬もその代理参拝をしていたことも

あり、特にこんぴらさんにお参りしたいぬのことを「こんぴら狗」と呼んでいたそうだとあります。



我が家の代理参拝人は、最近少々お疲れのようで・・(笑)

その変わりがちゃんと他にいるという証拠にもなりました。(笑)



沖縄で取れたウコン(鬱金)を染料として使い、絹糸を染め上げた布を使用した、鬱金色した

幸福の黄色いお守りとあります。

病気や災いごとから身を守るお守り・・・とのことで、まさしく来るべきして来た、お守りのようです。


何ともありがたいことで、このお守りをもらった瞬間、縁を感じ、とても感謝の気持ちでいっぱいに

なりました。夢で見た「いぬ」は、このことを言っていたようです。

これは何かのメッセージです!きっといいことがあるかもです!(笑)♪




全てのものに偶然はなく、必ず意味があるものとして現れたりします。


人と出会うことも、その時に必要な人物との出会いでもあり、こうしたお守りだけでも、

とても意味があるものなのです。


あとは、そこから先は、本人の努力ということでもあるのでしょう。



しかし、それらを事前に心しておくことも、必要なことなのです。


誰でも、小さな気づき・・・そんなメッセージが~ちゃんとあるはずですから!(笑)



いつも五感を研ぎ澄まし、心しておきましょう!(笑)






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2012年6月20日水曜日

.        未来へと続くとびら~進むべき道

 
                                            .
今日は新月



自分が自分らしく生きるために

今は見えない道を迷いという霧に包まれながら

もがいている自分が鏡に映る



迷子にならないようにと必死に生きる道を探しても

今の自分に何が出来るのか・・・


心は何を求め何を感じて生きて行けばいいのだろう



暗闇に閉ざされた今は誰にも見えない未来へと続き

それでも羽を広げてまっすぐに飛び立ちたいと心は願う


迷いながら不安を抱えながらそれでもいいじゃないか!


霧に包まれて見えない明日も


手探りで進む道がある


這いつくばって・・声出して


進んで行く先にはきっと明るい光が射すだろう



世界を包み込む広い心を持ち・・・皆が繋がる

愛をもって愛を願う


天はそんなあなたを望んでいるのだろう




宇宙が胸を広げて受け止めてくれる事実を

私たちは知るべきなのだろう





そこにたどり着くために
 


 誰かが助けてくれるなんて思わずに


 誰のためでもない自分のために



 
 
 
  迷わずに進もう・・・自分を信じて!




 





 

~ ポエム 榊 瑠璃 ~ 












※宗教的関わりは一切ありません。



現代の私達が陥りやすい自分を見失うこと

それらに気づいてほしいという願いを込めました。






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2012年6月18日月曜日

子供への叱り方~親として

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子供の教育は、親にとって大変なことで、小さいうちからしつけや勉強を気にかけながら、

勉強が出来て、性格の良い子に育ってほしいと願いながら、いつしか親は、それ以上のものを

子供に期待してしまうのです。


自分よりはるかに良い学校に行ってほしいとか、有名大学に行くために、小さな時から英才教育

してみたり、子供が望むに関わらず習い事をさせてみたり・・・。


初めての子供には、とにかく前例もない親にとっては、模索しながらも厳しく子供をしつけるように

なってしまうようです。それは親も初めての子育てで、本当はどう教育していいのか分からず

ただ親の感情で怒ってしまったり、親から叩かれながら育った親は、また子供を叩くことで教育して

いると勘違いしてしまうのです。

そしてその子供はまた、親になり、自分の子供を叩いてしつけるようになるのです。


しかし、親の怒り方次第では、子供の心の傷は深まってしまうのです。



親の怒り方は、感情的になっては絶対にいけないのですが、親も人間で、感情で怒っては、いけ

ないこととは、百も承知なのに感情がどんどんエスカレートしていってしまい、怒鳴り散らすように

怒ってしまうのです。


もちろんそんな親ばかりではないとは思います。しかし感情が抑えられずに、子供を叱っている

親を多く見かけます。


しかし感情に任せて怒なり散らしている親は、いつしか子供の反発を買うことがあります。


子供が小さいうちは、親に歯向かうことが出来ずにじっと我慢して耐えているしかない子供は、

どんどん心の中で、悔しい感情が蓄積されてきてしまいます。


それをどこかで発散出来ている子供は良いのですが、(たとえばスポーツクラブに入っているなど)

それが出来ない子供は、どんどん恨みという形に変わってきてしまいます。


こうなると親子という関係が薄れて来て、ただ恨みつらみという感情が膨らんでしまうのです。


そして一番いけないことは、お父さんが怒っている時に、お母さんもが一緒に怒ることが一番

行けない行為です。子供には、どこかに逃げ道を作っておく必要があるのです。

これは、おじいちゃん、おばあちゃんがいるご家庭でも同じことが言えます。

1人が怒っている時には、口をはさまないこと、子供が逃げてこられる場所(人)を作ること。



親は子供を所有物のように、自分の感情の赴くままに行動させることは、決して許されること

ではないのです。


子供は小さくても、1人の人間であり個性を持った人間でもあるのです。



もちろん叩くという行為も、時としては必要があるかもしれません。

しかし、怒る度に叩くのではなく、ここぞという時に叩くだけにとどめたいものです。



そして、普段は愛情を持って接する事も必要です。

これは、甘やかしとは別物なので、はき違えないようにしたいものです。


子供はしっかり親の行動を見て育ちます。そして子供なりの感情が芽生えて行くのです。


親子関係をずっと良いままに、大人になった子供は、決して親を裏切ることはありません。



子育てとは、親である以上いつまで経っても続く課題なのですから・・・。



それならば、感情的にしつけや教育していくのではなく、1人の人間としての個性を尊重しながら

育てて行くことも、親にも必要な行為なのだと思うのです。












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