2013年2月1日金曜日

心のオープンと心の境界線

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心をオープンにするというのは、一見とても素晴らしいことのように思えるのですが、

実はそれは結構ストレスを抱える原因になることがあるのです。


広い心で眉間を広げるというのと、少し意味が違い、心をオープンにすることは、

すべてを受け入れてしまいがちなのです。


しかし、個々の人間の許容範囲というのが存在する限り、心をオープンにする代わり、

ある一定の境界線を自分の中で持つことが大事なのです。



親しくなれば、それだけ心の中や性格的なものが見えてきます。しかし踏み越えてはいけない

部分の心の境界線を設けることで、ある一定の距離を保つことができるのです。



たとえば・・・

夫婦でも恋人同士でも、許しあうことは大事だけれど、ここまでは踏み込んで話したくないと

思うことや、触れて欲しくない話というのが、必ずあるはずです。

そこの踏み込んで話をしたくない部分に触れると、不愉快だと自分が感じる部分を境界線として

設けると良いのです。


男性ならば、過去の女性関係の事を平気で話せる人もいるし、その逆に過去の女性関係のことは

絶対しやべりたくない人もいると思います。


女性でも男性の過去の女性の話を平気で聞ける人と、絶対喋って欲しくない人が居ると思います。

その部分を自分で見極め、境界線を設けて、ほかの人誰でもに、踏み込んで欲しくない、不愉快と

感じる部分をちゃんと境界線として設けることが大事で、人との関わりをストレスなく円満にする為

の技法でもあるのです。



誰かが境界線に踏み込んできそうな時は、自分から距離を置くことや、その話はしないでと言える

意志の強さも大事なのです。


これは家に鍵をかけるのと同じで、勝手に家の中に踏み込んで欲しくないことと同じで、人の心の

中も、勝手に土足で踏み込まれることが無いようにしなければ、ストレスは貯まる一方なのです。


これは無意識の内にストレスを溜め込んでしまう人に、ありがちな、なんでも心をオープンにして

しまうことの弊害なのです。



一つのいい例としては、最近では精神世界の話は、一般的になってきたとはいえ、それでも

「そんな精神論はありえない」と思っている人もまだまだたくさんいるのです。

それをわかってもらおうと必死で話すことは、自分の心のストレスを増すことになり、相手が話を

ちゃんと聞いて受け止めてくれるならば話すことも良いと感じるけれど、拒否される人には一切

話を出さないと心に決めてかかると、自分が傷つくことも、それによってストレスを感じることも

ないのです。

これは、心に境界線を設けて自分にストレスを溜めない方法の一つの例に過ぎませんが、

誰もが全てにおいて、心をオープンにすることができれば、それはとても素晴らしいことでしょう。


しかし、この世界ではとても難しいと思います。


全ての人が心をオープンに出来、なんでも受け入れられれば、この世からいがみ合う戦争など

無くなるはずなのですから・・・。


しかしせめても、自分の心の境界線を設けることで、ストレスを溜めない工夫や、人とのいがみ

合いを少なくする方法はあるのですから、自分をしっかり見極め、人といがみ合ったり、ストレス

をためないようにする自分を持ちましょう。(笑)


自分のためにも、円満な人間関係を維持するためにはも、大切なことなのですから!(笑)






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2013年1月27日日曜日

気づきと~満月の日の意識

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今日は満月



最近、意識レベルは、どこまで成長できるのだろうか?などと考えることがあります。


この世に生を受け、生きる道を授かり成長していく過程の素朴な疑問でしょうか?

人の人生は、いろいろな道を歩くように導かれていきます。それは個々の魂が今、生まれたばかり

のものでは無くて、以前からいろいろな形で生きてきたことを意味しているからなのでしょう。


それらに気づき生きていくことは、とても大事なことで、成長を遂げていく今の現世での与えられた

意識レベルの向上は、自然体(身体・思想)が織り成す意識からくるものなのでしょう。


それならば意識レベルの向上を図るべく経験と思想は、おのずと成長しているのだと思うのですが

それが、どまで行くことが可能なのかという疑問にぶつかるのです。



人の歩む速度も、歩く道も個々違い、その内に持ち合わせている魂のレベルも、違いがある

のですから、意識レベルが違ってきて当然でしょう。

しかし、限られた寿命のなかで、人はどれぐらいの成長を見るのでしょうか?



それはきっと、無限に続く意識レベルの向上なのかもしれない、などと考えるのです。

だから何度でも生まれ変わり、人間の形を変え、この世に生まれてくるのかもしれません。



知人の一人に、自分が死ぬ寸前のお花畑を見た人が居ます。

それはそれは、綺麗なお花畑で、遠くには、もう以前に亡くなっていた、おばあさまが立ってい

らっしゃって、自分を見ていたというのです。

しかしその時の知人は、何故かそちらに行かずに呼び戻されたと言うのです。


これが幽体離脱というものでしょう。


知人は、何故あのお花畑に行けなかったのか・・・と不思議がります。


しかしそれは、まだ知人の歩むべく道にやり残しがあり、進まなければいけない状況下であった

ことは言うまでもありません。


それにその知人は何度も死の淵を歩いているのですが、それらは、この現世でもっと大事な

ことに気づきなさい、ということの表れだと思うのです。


やり残したことへの気づき、そしてそれらを遂行する使命、それらに自ら気がつかなければ、

その先に進む成長は、ないのかもしれませんね。


しかし、誰もがそういう意識を持ち合わせているわけではないのですから、それらは個々での

判断と意識を消化していくことが重要なのでしょう。


幸い知人は、いろいろな話をしていくうちに、それらに少しずつ気づかされたという意識が芽生え

てきたのでしょうか・・・とても前向きに自分を捉えてきていました。


誰もが、個々の違った意識レベルの向上を図ろうと日々頑張っているのですから・・・

自分のペースで進めれば、それが一番良いということなのでしょう。

ただ自分の使命を見極める目を持たなければ、なかなか見極めは難しいかもしれません。



そう誰でもが持つ意識レベルは、無限なのですから、それに気づきマイペースで・・・(笑)


などと考える・・・今日の満月の日なのでした!(笑)


満月の月光浴で自分も浄化し成長を促しましょう!(石と一緒に!)


そして・・・自分の内なる声を聞きながら、進んで行きましょう。


 .                      マイペースでゆっくりと・・・ね!(笑)









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