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古代のインドには、歴を残す習慣がなかったため、はっきりと生没は分かっていないお釈迦様。
しかし、80歳で入滅されたということだけ、分かっているそうです。
お釈迦様が生まれたのが、東インド、ヒマラヤ山脈の南方で、ネパール国境付近の、今のタライと
いう地方の、2つの共和国があった付近で生誕したと伝えられています。
お釈迦様は伝統的な修業をせず、自由な修業をし、瞑想や断食によって独自の修業をされても
満足がいかなかったため、苦行を捨てたと有ります。
お釈迦様はどちらかというと自由にのびのびと瞑想をし、悟りを開いた方だったようです。
お釈迦様の教えはいろいろあり、たくさんの教えを残した偉大なる人というイメージですが・・・。
私のような凡人には恐れ多いのですが・・・。
小さい時から母にいつも「あなたは、お釈迦さまが亡くなった日と同じ日に生まれたのよ!」と
良く言われていました。そう、今日の2月15日(旧暦の満月・お釈迦様入滅の日)ということです。
先日のセミナーでも手のひらに十字の神秘十字がある人は先祖に守られている・・・ということも
伺い・・・そうなんです私は、それがあるのです・・・
しかし、それを知るずっと前から、自分でも誰かに守られているということは分かっていて、
(誰でも誰かに守られてはいるのですがね。(笑))大きな力に導かれているようなんです。
それになぜだか、今年に入ってから特に、この非結核性抗酸菌症という病気にかかったのも、
何か意味があったことだったようで・・・いろいろ考えてしまっているのです。
お釈迦様は悟りを開かれて、説法の方法として相手の状況や能力に合わせて、その人に相応しい
ことを説かれていったと言われています。
お釈迦様のようには行かないまでも、スピリチュアル カウンセラーとしての榊 瑠璃も、それに等し
いことが、できるようにしていきたいと、日々精進し、今日の日の誕生日に改めて思うのです。
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2012年2月15日水曜日
2012年2月14日火曜日
ストロベリークオーツとビターチョコ
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人を好きになったことがある人なら、誰でも経験があると思う初恋。
文字通り初恋とは初めて人を好きになることで、幼いころのことだったり、学生の頃だったり
大人になってから初めて人を好きになったり、それも初恋と呼べるのでしょう。
初恋の思い出は、なぜか自分の気持ちを相手に伝える勇気がなく、初めての恋に戸惑いながらも
自分の気持ちの変化と、やりきれない淡い恋心を、抱いた方も多いのではないでしょうか?
大人になってから、そんな初恋はいつの日か心の片隅に追いやられていて、新しい恋に目が行って
しまったのはいつだったのか・・・なんて記憶の片隅にしか残っていなくても、たとえ嫌な思い出しか
残っていなくても、なぜか忘れることができないのが初恋なのですよね。
初恋は淡い綿菓子のようだけれど、思い出は、ほろ苦くビターチョコのようではないでしょうか?
そんな初恋を思い出しながら、人を好きという感情がいつも人にはあり、心を潤しているようです。
愛情は、告白することがすべてではないけれど、いつの世も恋心は、あの人に想いを伝えたいと
思っているのですよね。自分の気持ちに素直になりたい・・・そんな時人は、想いを伝えるべき
行動に出るのでしょう。
そんな時に持っていると勇気を与えてくれて、積極的な自分を、また魅力を引き出してくれる
そんな石は、ストロベリークオーツでしょう。
忘れかけていた初恋を、思い出させる今日の日のようなバレンタインデー。
私などは、恋心などどこかに消えてしまったと思える今日この頃だけど・・・(笑)
ちょっと大人の苦めのビターチョコレートでも食べて、思い出に浸るには良い日です。
いつの日も恋心を忘れないで・・・そんな思いにさせてくれる今日のバレンタインデー
思いを伝えたい人はチャンスの日。
ストロベリークオーツを胸に抱いて(ネックレスが効果的)
自分の気持ちに素直になれる日、と頑張ってみましょう!!(笑)
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人を好きになったことがある人なら、誰でも経験があると思う初恋。
文字通り初恋とは初めて人を好きになることで、幼いころのことだったり、学生の頃だったり
大人になってから初めて人を好きになったり、それも初恋と呼べるのでしょう。
初恋の思い出は、なぜか自分の気持ちを相手に伝える勇気がなく、初めての恋に戸惑いながらも
自分の気持ちの変化と、やりきれない淡い恋心を、抱いた方も多いのではないでしょうか?
大人になってから、そんな初恋はいつの日か心の片隅に追いやられていて、新しい恋に目が行って
しまったのはいつだったのか・・・なんて記憶の片隅にしか残っていなくても、たとえ嫌な思い出しか
残っていなくても、なぜか忘れることができないのが初恋なのですよね。
初恋は淡い綿菓子のようだけれど、思い出は、ほろ苦くビターチョコのようではないでしょうか?
そんな初恋を思い出しながら、人を好きという感情がいつも人にはあり、心を潤しているようです。
愛情は、告白することがすべてではないけれど、いつの世も恋心は、あの人に想いを伝えたいと
思っているのですよね。自分の気持ちに素直になりたい・・・そんな時人は、想いを伝えるべき
行動に出るのでしょう。
そんな時に持っていると勇気を与えてくれて、積極的な自分を、また魅力を引き出してくれる
そんな石は、ストロベリークオーツでしょう。
忘れかけていた初恋を、思い出させる今日の日のようなバレンタインデー。
私などは、恋心などどこかに消えてしまったと思える今日この頃だけど・・・(笑)
ちょっと大人の苦めのビターチョコレートでも食べて、思い出に浸るには良い日です。
いつの日も恋心を忘れないで・・・そんな思いにさせてくれる今日のバレンタインデー
思いを伝えたい人はチャンスの日。
ストロベリークオーツを胸に抱いて(ネックレスが効果的)
自分の気持ちに素直になれる日、と頑張ってみましょう!!(笑)
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2012年2月13日月曜日
老いては子に従え?~親子関係
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親から見た子供は、いくつになっても子供は子供で、年齢に関係なく自分の子供なのです。
子供からしたら、大人になってまで詮索されたくない気持ちが出て当たり前なのでしょう。
しかしそこはやはり親子の枠は超えられなくて、親から見たら子供はいつも頼りないような、
危なっかしくて心配なのです。
しかし昔の人は良く言ったものです。自分が親になって初めて親の気持ちが分かるのだと・・・。
そうなんですよね。親になって初めて親の気持ちが分かり、また親になって子供の心配が、親が
していたように心配する。これはいつの時代でも変わらないスパイラルのようなものなのでしょう。
切っても切れない親子の関係がそこにずっと続いて行くのでしょう。
子供の時には分からないものが、大人になって、親になって初めて分かる気持ちは、どの時代に
おいても同じなのではないでしょうか?
最近では昔と少し違う点は、親子で楽しみ事が増えてきていることでしょうか?
女の子のお母さんは、同じ服を共有したり、一緒に買い物をして楽しんだり、男の子でも、最近は
一緒に飲みに出かけたり、なんて言う話を良く耳にします。
楽しみを一緒に共有出来るのは何ともほほえましく良いことです。しかしそこには親子の枠はどこか
しっかりとしたものが根ずいていて、そこはちゃんとわきまえがあるようです。
老いては子に従え・・・とは言いますが、親から見た子供意識は決して抜けることは無いと思うので、
そこは子供の方が、賢く接するすべを持っていなければいけません。
たとえば・・・
年と共に頑固になってくる親父さんを何とかうまく納得のいくように話す工夫は必要で、
足が悪く、杖が必要になっているのにもかかわらず、カッコ悪いからと、杖をつきたくない親父さんを
どのように説得して杖を持たせるか・・・。
あなたならどう言って説得しますか?
私なら、『杖をついた姿でさっそうと歩く親父さんを見て女性はほおっておかないでしょうね!
杖がカッコ悪いなんて時代は終わっていて、今は杖をつきながらでも歩いて、それもさっそうと
している姿に、ほれぼれする人が出てくるかもね!
逆に杖も無く歩くのをやめてしまって、家に閉じこもってばかりでは、あの人どうしたの?
見かけないね?亡くなったの?・・・なんて噂されかねないでしょう!
杖をついてでも出歩ける事を立証しなくっちゃね!』
こんな風に言うでしょうね!
親からしたら子供は、いつまでも子供だけれど、老いたら子に従え・・・それは親を思ってのこと
と割り切る気持ちが、親子の関係を、上手に続けて行く秘訣なのかもしれませんね!
でも~50代・60代はまだまだ現役ばりばりですから!ね!(笑)
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親から見た子供は、いくつになっても子供は子供で、年齢に関係なく自分の子供なのです。
子供からしたら、大人になってまで詮索されたくない気持ちが出て当たり前なのでしょう。
しかしそこはやはり親子の枠は超えられなくて、親から見たら子供はいつも頼りないような、
危なっかしくて心配なのです。
しかし昔の人は良く言ったものです。自分が親になって初めて親の気持ちが分かるのだと・・・。
そうなんですよね。親になって初めて親の気持ちが分かり、また親になって子供の心配が、親が
していたように心配する。これはいつの時代でも変わらないスパイラルのようなものなのでしょう。
切っても切れない親子の関係がそこにずっと続いて行くのでしょう。
子供の時には分からないものが、大人になって、親になって初めて分かる気持ちは、どの時代に
おいても同じなのではないでしょうか?
最近では昔と少し違う点は、親子で楽しみ事が増えてきていることでしょうか?
女の子のお母さんは、同じ服を共有したり、一緒に買い物をして楽しんだり、男の子でも、最近は
一緒に飲みに出かけたり、なんて言う話を良く耳にします。
楽しみを一緒に共有出来るのは何ともほほえましく良いことです。しかしそこには親子の枠はどこか
しっかりとしたものが根ずいていて、そこはちゃんとわきまえがあるようです。
老いては子に従え・・・とは言いますが、親から見た子供意識は決して抜けることは無いと思うので、
そこは子供の方が、賢く接するすべを持っていなければいけません。
たとえば・・・
年と共に頑固になってくる親父さんを何とかうまく納得のいくように話す工夫は必要で、
足が悪く、杖が必要になっているのにもかかわらず、カッコ悪いからと、杖をつきたくない親父さんを
どのように説得して杖を持たせるか・・・。
あなたならどう言って説得しますか?
私なら、『杖をついた姿でさっそうと歩く親父さんを見て女性はほおっておかないでしょうね!
杖がカッコ悪いなんて時代は終わっていて、今は杖をつきながらでも歩いて、それもさっそうと
している姿に、ほれぼれする人が出てくるかもね!
逆に杖も無く歩くのをやめてしまって、家に閉じこもってばかりでは、あの人どうしたの?
見かけないね?亡くなったの?・・・なんて噂されかねないでしょう!
杖をついてでも出歩ける事を立証しなくっちゃね!』
こんな風に言うでしょうね!
親からしたら子供は、いつまでも子供だけれど、老いたら子に従え・・・それは親を思ってのこと
と割り切る気持ちが、親子の関係を、上手に続けて行く秘訣なのかもしれませんね!
でも~50代・60代はまだまだ現役ばりばりですから!ね!(笑)
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2012年2月12日日曜日
まだまだ勉強!
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昨日セミナーに参加してきました。
昨年東京で、一度お目にかかっていた手相の先生で、その時にお世話になり、バンバン刺激を
頂いて帰ったことがあったので、今回、大阪でセミナーを開催されることを知り参加したのですが、
少人数ということもあり、和気あいあいな雰囲気で、とてもリラックスして聞けるという雰囲気で
まとまったプレゼンで、さすが元教師だけありのしゃべりが冴えわたっていました。
講師時代の私を少し思い出し、準備も大変だろうなぁ~などと見えない部分の大変さが分かり
それでいて、きちっと進行スケジュールが頭に入っていて、さすがだなぁ~と感心しきりでした。
もちろん今回もいっぱい刺激を頂きました。
はじめは、手相は畑違いの感じがあったのですが、何事も経験と講習を受けてみて、
実に奥が深く興味深い内容で楽しめました。
楽しめましたとは、失礼な言い方ですが、実は講師は楽しめたということは、褒め言葉でも
あるので、嫌な感じではないのです。
1人1人見て回られて、私が言われたのが、「手が小さいね!」「本当に小さいね!」でした。(笑)
身長も150センチと小柄な私ですが、手はもっと小さく感じられ、いつも小学生ぐらいの手だねと
良く言われます。その分いつも、態度がでかいと言われるのですが(笑)
でもその後、「小さい手の人は大物になる人が多いのでいいのよ!」と言われいい気分でした(笑)
他の方などは、宝くじ線というような、幸福の線が出ている方がいらっしゃったりと、なごやかな
雰囲気で良い感じでした。
私の講師時代は35人とかの大人数でしたから、見て回るのも大変でしたが(笑)
手相も人それぞれで100人いれば100通りの手相があるのだということが分かり、これは少し
勉強する価値があるなぁ~などと考えて帰った講習会でした。
まだまだ勉強することがたくさんあるようで、人生はいつまでも勉強ありきかなぁ~などという
思考に収まった一日でした。
人は頭で考えなくなったら終わりですからね!
それまでは、楽しみながらしっかり何でも習得していきましょう!(笑)
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昨日セミナーに参加してきました。
昨年東京で、一度お目にかかっていた手相の先生で、その時にお世話になり、バンバン刺激を
頂いて帰ったことがあったので、今回、大阪でセミナーを開催されることを知り参加したのですが、
少人数ということもあり、和気あいあいな雰囲気で、とてもリラックスして聞けるという雰囲気で
まとまったプレゼンで、さすが元教師だけありのしゃべりが冴えわたっていました。
講師時代の私を少し思い出し、準備も大変だろうなぁ~などと見えない部分の大変さが分かり
それでいて、きちっと進行スケジュールが頭に入っていて、さすがだなぁ~と感心しきりでした。
もちろん今回もいっぱい刺激を頂きました。
はじめは、手相は畑違いの感じがあったのですが、何事も経験と講習を受けてみて、
実に奥が深く興味深い内容で楽しめました。
楽しめましたとは、失礼な言い方ですが、実は講師は楽しめたということは、褒め言葉でも
あるので、嫌な感じではないのです。
1人1人見て回られて、私が言われたのが、「手が小さいね!」「本当に小さいね!」でした。(笑)
身長も150センチと小柄な私ですが、手はもっと小さく感じられ、いつも小学生ぐらいの手だねと
良く言われます。その分いつも、態度がでかいと言われるのですが(笑)
でもその後、「小さい手の人は大物になる人が多いのでいいのよ!」と言われいい気分でした(笑)
他の方などは、宝くじ線というような、幸福の線が出ている方がいらっしゃったりと、なごやかな
雰囲気で良い感じでした。
私の講師時代は35人とかの大人数でしたから、見て回るのも大変でしたが(笑)
手相も人それぞれで100人いれば100通りの手相があるのだということが分かり、これは少し
勉強する価値があるなぁ~などと考えて帰った講習会でした。
まだまだ勉強することがたくさんあるようで、人生はいつまでも勉強ありきかなぁ~などという
思考に収まった一日でした。
人は頭で考えなくなったら終わりですからね!
それまでは、楽しみながらしっかり何でも習得していきましょう!(笑)
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