2013年9月13日金曜日

男女の価値観の違い~そこから見えてくる成長

.

ここのところ、春に一度感じた、人間同士の関わり合いに関する事柄が、クローズアップされて

波動として、同じようなものが感じられる私です。(笑)


それと言うのも・・・

春に女性のクライアントさんからのご相談で、石を選定したのですが、本人は、石が大好きだと

目覚め、しかし、自分では、今どんな石をもったら良いか全然わからないとおっしゃっていて、

購入を依頼してこられました。しかしその話をご主人にすると、猛反対されてしまったということで、

こちらとしても、ご主人に納得して頂いてからの方が、良いと思い一度保留にしたのですが・・・・



先日、その彼女から再びご連絡を頂きました。

どうしても、石を持ちたい意向をご主人と話されたそうでうが、納得した答えをもらえなかったようで

一時は諦めたのだそうですが、どうしても石を持ちたいという気持ちが強いとおっしゃるのです。

そこで私は、「○○さんはどうしたいと考えていますか?」とお伺いしてみました。


彼女は、主人とは、普段は仲がよく、いろいろな話も出来るけれど、価値観の違いから、どうしても

認めてもらえないものがあり、いつも我慢ばかりしていたのだそうです。


ご主人は、趣味でパチンコをしたり、ひとりで出かけていくこともあり、自由にさせていると、彼女は

言っているのですが、自分が欲しいものや、嫌なものを、分かってくれようとしないご主人に嫌気

がさすことが、度々あったのだそうです。

しかし、今回だけは、どうしても自分の石を持ちたいという気持ちが強いとおっしゃるのです。


しかし、私は、「本当に、ご主人に自分の意思を伝えていますか?」と聞いてみました。

彼女の答えは、喧嘩になるのが嫌で、いつも途中で言うのを諦めてしまうとのことでした。



ここが大切なことなのです。


価値観が違うご主人に、話は切り出せても、途中で反対されると引き下がってしまう彼女なのです


喧嘩をしたくないという理由から、それ以上自分を押し通すことが出来ないのが問題なのです。


男性と女性の価値観の違いは、大きく、また人間としての本質的な価値観の違いもあります。

しかし、本来は、人間は、肉体・精神・魂の3つから出来ているので、男女の差がなく同じであると

いう考えが成立します。これは、魂でのつながりからすると、すべての者は、ひとつだからです。

しかし、人間の肉体と精神は厄介な代物なのです。(笑)


特に精神からくる思考は、男女の価値観に大きな差をつけるのです。


大きく分けて男女としてしまいましたが、人と人との思考の違いも価値観に通じるものがあり、

ある人にとっては、何ともないことも、ある人にとっては、心から傷つくこともあり、厄介なのです。



価値観というのは、人それぞれに違いがあって当たり前なのです。

しかし、人間の尊重という意味からも、自分の意思を人に伝え分かってもらうことも大切なのです。

喧嘩するのが嫌だからと、自分を押し殺してしまう彼女は、いつまでたっても、ご主人の言いなり

にしかならず、人としての価値を、ご主人に認めさせることができないのです。



こんな時、私は、喧嘩をしてもいいから自分の考えをちゃんと話すことを奨めます。


なぜならば、価値観が違うのは分かっていながら、自分の意思を通せないことが問題だからです。


いつも我慢ばかりしていると、ご主人は、自分が言ったことは、納得させる力があると勘違いして

しまい、いつも自分の考えを通そうとしてしまうからなのです。

相手を受け入れる器を小さくしてしまって、自分だけの世界に彼女を置いてしまっているのです。

これは、彼女にも、ご主人にも、マイナスな状況を作ってしまい、お互いが成長することを止めて

しまうのです。


夫婦である以上、お互いが尊重できる相手でなければ、長続き出来ません。

価値観の違いから離婚が多いのはそのためなのです。



自分の考えをちゃんと相手に伝えることの大切さや、自分の考えを分かってもらうための手段とし

てのコミュニケーションができているかにも関係があるのです。


自分が欲しいならば、なぜ欲しいのかを自分の心の中で確認し、ちゃんとご主人に説明をし、

さらに、否定された時には、なぜ否定するのかを問いただすことも大事なのです。

そこでお互いの考えが見えてくれば、そこからもう少し思考を巡らせることが、2人に出来るのです



諦めてしまえば、話はそこまでです。

喧嘩したくないから、怒られたくないから、と逃げていてはどうしようもないのです。


自分を押し通すだけが、良いとは限りませんが、自分を押し殺して我慢ばかりしていては、ストレス

となり、今度は違うはけ口に行ってしまいます。(違う男性を求めてしまうことも・・極端ですが(笑))


人と人として尊重しあえてこそ、気づきもあり、成長もあります。

それを怠ると自分ばかりか、相手の成長も止めてしまうのです。


彼女は、話の最後に「納得させて見せます!」「自分のためでもありますから!」と言っていました。

結果は、まだ出ていないようですが・・。(笑)



価値観の違いを認めつつも、譲歩できる思考へと変えることが出来る頭を持つことも大事なのです

ご主人がそうなれば、一番円満に行くことでしょう。

そして、彼女自身も、直ぐに諦めてしまう思考を変えることで、自分の本当の価値が分かるでしょう


2人が成長できるためにも、頑張って頂きたいものです!(笑)



















2013年9月11日水曜日

お彼岸近し~意識を変えて実父を想う

.

今日は、ちょっと昔のことを思い出し(36年前のこと)、なぜか気になったのでお話を・・・(笑)


ある時期まで、私は、ある宗教団体を、とても恨んでいたことがありました。

初期の頃のブログでも少し触れていますが、今と考えが変わっているので書いてみます。(笑)


それと言うのも、36年前に、父を、ある宗教団体が命を奪ったと信じていたからです。

しかし、自分が難病という病気を背負ってから、意識がすべて変わっていきました。



父の黄疸が全身に広がりはじめたのは、その宗教団体からの病院には行かずに治ると言われ

信じてしまった実父が、病院に行くのを拒んだことからでした。

そう手遅れになってしまっていたのです・・・。

さらには、2度の手術の失敗です。(これは、何十年も経ったあとから聞かされたことでした。)



最近になって、その団体の教えというものが、ポストに投函されているのを見て、内容を読んで

見て笑ってしまいました。(笑)



確かに神様の存在や、あるべきパワーで病気を治せるというような内容で、それも一理あると頷く

反面、それがどうしてこのような紙面で人を惹きつけることをするのかと、逆に疑問が湧きました。

宗教団体をとやかく非難するつもりは、毛頭ありません。



しかし、明らかに誰でもが、神様のパワーを伝授出来るとも思えませんでしたから・・・

なのになぜ?の疑問でした。


その宗教団体は、誰でも神の業を習得でき、人を病から救えるパワーが授かるという内容です。

さらに、そのパワーで病気が治り、人助けにも繋がるというような内容でした。

このような内容は、たくさんの団体を知っています。しかしそれを信じる人が居てもおかしい話では

ないとは思います。

が・・・しかし


その疑問の答えは、簡単に出すことができました。

団体というのは、利益を生むことを、それとなく促しているので、仕方のないことなのです。

人が集まらなければ、利益にはつながりません。



信じる者が救われるという教えも、間違いではないでしょう。

しかし、その当時の団体は、病院には行かずに、神様から伝授したパワーだけで治せると豪語して

いたのを信じてしまった父だったのでしょう。

今思えば、病気からの不安や恐怖がそれらを信じるきっかけになったのだと思います。



しかし、意識は、そんな方向へ変えるものでは無いと私は、今思うのです。



病気になれば、不安も恐怖も大きく膨らんで行きます。しかし、意識を変えるのは、その病気に対し

なぜ病気になったのか、本当の理由は何なのか?そして、それらの不安と恐怖をどう克服すれ

ば良いのか?意識の変え方を、少し考えなければいけないのです。

それは、前世がどんなだったとか・・・そういう問題では無いと考えます。



意識の変え方が正しく分かって来ると、病気や不安に負けない意識が生まれてきます。

その為には、人間がなぜ生まれて来るのか・・・なぜ自分が今を生きているのか・・・

根本的な答えを、自分自身で見つけて行くことが、一番大切なことなのです。



この世に生まれて来た本当の目的は何なのか?ただ単に生まれてきたわけではありません。

すべての人は、自分の本当の目的、本来の自分を思い出さなければいけないのです。


信じるものが、間違った思考へと行くと、父のように、病院にも行けなくなり、不安だけが拡大し

その団体の言うがままになってしまうのです。

これは、本人の意識の持ち方が、病気という題材から、極端に弱くなった結果であると思います。



これらの病気などの不安な気持ちは、意識を変えることで克服出来ます。

現に私は、神様の存在を信じてはいない時期がありました。


しかし、自分が非結核性抗酸菌症という難病になり、見えてきた本当の自分を確認できることが

出来たことが一番の大きな収穫であり、神様は存在し、また私達自身がその一部でもあるのだと

確信が持てるように、意識が変わってきたのです。


それは、どこかの宗教団体に所属することなく、自分が自ら答へを求めた結果です。


不思議なことに、疑問が起こることは、すべて、答えが導き出せる境遇が揃っていきました。

それは、自分の直感を信じること、自分自身を信じて行くことで答えが自らやってきたのです。


この非結核性抗酸菌症という難病になってしまった理由もちゃんと分かりました。

そのために出会うべくして出会う人とも、ちゃんと用意されていたのです。

それは、意識を変えることで、自分自身が見え始めてきたからなのです。



今、父が生きていれば、きっとその話をしたでしょう。

自分の意識を変えることの大切さを、話したと思います。

間違った意識を持つのではなく、自分を見つめ直す良い機会が、病気なのです。



今は、父もあの世で、痛みも辛さもない状況で、穏やかに暮らしているようです。

宗教団体への想いも、「もう恨んではいけない」そう言っていたのが印象的でした。(笑)


最近、この手の話題が多いのは、お彼岸が近いせいかもしれませんね(笑)



亡き人を、思い出して上げてください。(今日は9.11でもあります。)

でも決して悲しまないように!(笑) 笑って墓石に、ご挨拶してくださいね。


素直な気持ちで、手を合わせてください。きっと亡き人を安心させます。


そして自分自身を見つめる良い機会にしてください。(笑)





ひとりごと・・・

  
今年も、東京の実家近くにあるお墓には、挨拶できそうもないけど・・・許してね!お父さん!(笑)

                ~ まだまだ私は、元気で頑張れますから!(笑)





















2013年9月8日日曜日

あの世に行った魂との遭遇~あなたは信じますか?

.

見えないものが信じられない人の中には、柔軟な考えが持てないから、という定義があるように

思います。(どうしても確証がないと、信じられないという人。)(笑)


それ以外の考えでは、魂はどこから来て、どこへ行くのかを知りたいという気持ちよりも、帰って

きた魂を追求することに、専念する人がいます。(笑)



知り合いのおばさんに、あちらにいる魂が一時、そのおばさんに降りて話をしてくれる人がいます。

降りて来た精霊は、話をしてくれますが、私は、決して名を名乗ることは、無いと思っていますが・・

知人は、その降りてきてくれた精霊を、誰なのかと判明したがるのです。(笑)

もちろん、そのおばさんに降りた精霊は、なかなか名前など名乗らないのです。


話をしていれば、大体、誰が来ているのかが分かるはずなのですが、その知人は、誰かと名前を

しつこく問いただすのです。(笑) (確証が欲しいのでしょう。)



あちらに帰った魂は、肉体を脱ぎ捨てて行くため、名前などいらないのです。

日本では、亡くなった人に戒名をつけますが、私は、本当は必要のないものだと思っています。


なぜならば、魂になった人達は、記憶として名前はあるかもしれませんが、それらの記憶だけで、

必要のないものになってしまい、残るのは、経験だけが記憶として残されて行くからなのです。

そのため、現世にいるときは、肉体があり、名前があるのですが、あちらに帰れば、魂は、大きな

ひとつのものに吸収されていく過程を経ていくので、名前なのどいらなくなるからなのです。



その知人は、降りて来た精霊が、とにかく誰か知りたくて、名前を聞くのですが、この世を去って

長い年月が経ってしまった魂は、特に現世に居た時の名前など忘れていることが多いのです(笑)

そのために、名乗らない精霊が信じられない・・・ということのようです。(笑)



いろいろな精霊に遭遇することがある私ですが、魂はあの世に行くと、痛みや辛さを忘れることが

出来、自分のしてきたことの反省も出来るようです。(現世では気づけなかったことも分かるように

なり、心穏やかになるのです。肉体を背負って生きていた時とは、思考も違ってきます。)


しかし、この現世に、未練や恨みが強い場合は、その非ではないようです。

また、自ら命を絶ってしまった魂も、あちらに帰って行く道をだどりますが、その道は、長い道のり

になるようです。(だから、現世がどんなにつらくても、自ら命を絶ってはいけないのです。)


今月20日には、彼岸の入りになります。


この世を去った魂と、遭遇することが、多くなる人もいるでしょう。(笑)

そんな時は、怖がらず、名を問いただすのではなく、自分の心の声、もしくは直感であなたは誰?

と聞いてみてください。その答えは、自分の内から聞こえてくるはずですから!(笑)


私は、そうして、いろいろな人の魂を身近に感じ、今ここに居る、と感じ取っているのです。(笑)




しかし、見えないものをに遭遇するとき、確証がないと、信じることが出来ない人は、それらが理解

できずに、固定観念にとらわれて、柔軟な発想が出来ずに否定してしまうようです。(笑)


肉体から抜けた魂は、本当の自由を知ることになり、名前など忘れるぐらい、晴れやかな気持ちで

そして、現世で気づけなかったことに、たくさん気づくことができたりするようで、こちらで心配する

ことは、何もないのですから(笑) (ただとき時、思い出してあげるだけで良いのです。)


なまじ、肉体を背負っている現世は、いろいろなものに執着しすぎる結果、否定的なのかもしれま

せんね。(笑) 出来れば今から、柔軟な自由な頭を、持ちたいものです。(笑)



              ~ そうすれば、現世にいても、ちゃんと幸せに繋がるのですから!(笑)







.