2013年9月8日日曜日

あの世に行った魂との遭遇~あなたは信じますか?

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見えないものが信じられない人の中には、柔軟な考えが持てないから、という定義があるように

思います。(どうしても確証がないと、信じられないという人。)(笑)


それ以外の考えでは、魂はどこから来て、どこへ行くのかを知りたいという気持ちよりも、帰って

きた魂を追求することに、専念する人がいます。(笑)



知り合いのおばさんに、あちらにいる魂が一時、そのおばさんに降りて話をしてくれる人がいます。

降りて来た精霊は、話をしてくれますが、私は、決して名を名乗ることは、無いと思っていますが・・

知人は、その降りてきてくれた精霊を、誰なのかと判明したがるのです。(笑)

もちろん、そのおばさんに降りた精霊は、なかなか名前など名乗らないのです。


話をしていれば、大体、誰が来ているのかが分かるはずなのですが、その知人は、誰かと名前を

しつこく問いただすのです。(笑) (確証が欲しいのでしょう。)



あちらに帰った魂は、肉体を脱ぎ捨てて行くため、名前などいらないのです。

日本では、亡くなった人に戒名をつけますが、私は、本当は必要のないものだと思っています。


なぜならば、魂になった人達は、記憶として名前はあるかもしれませんが、それらの記憶だけで、

必要のないものになってしまい、残るのは、経験だけが記憶として残されて行くからなのです。

そのため、現世にいるときは、肉体があり、名前があるのですが、あちらに帰れば、魂は、大きな

ひとつのものに吸収されていく過程を経ていくので、名前なのどいらなくなるからなのです。



その知人は、降りて来た精霊が、とにかく誰か知りたくて、名前を聞くのですが、この世を去って

長い年月が経ってしまった魂は、特に現世に居た時の名前など忘れていることが多いのです(笑)

そのために、名乗らない精霊が信じられない・・・ということのようです。(笑)



いろいろな精霊に遭遇することがある私ですが、魂はあの世に行くと、痛みや辛さを忘れることが

出来、自分のしてきたことの反省も出来るようです。(現世では気づけなかったことも分かるように

なり、心穏やかになるのです。肉体を背負って生きていた時とは、思考も違ってきます。)


しかし、この現世に、未練や恨みが強い場合は、その非ではないようです。

また、自ら命を絶ってしまった魂も、あちらに帰って行く道をだどりますが、その道は、長い道のり

になるようです。(だから、現世がどんなにつらくても、自ら命を絶ってはいけないのです。)


今月20日には、彼岸の入りになります。


この世を去った魂と、遭遇することが、多くなる人もいるでしょう。(笑)

そんな時は、怖がらず、名を問いただすのではなく、自分の心の声、もしくは直感であなたは誰?

と聞いてみてください。その答えは、自分の内から聞こえてくるはずですから!(笑)


私は、そうして、いろいろな人の魂を身近に感じ、今ここに居る、と感じ取っているのです。(笑)




しかし、見えないものをに遭遇するとき、確証がないと、信じることが出来ない人は、それらが理解

できずに、固定観念にとらわれて、柔軟な発想が出来ずに否定してしまうようです。(笑)


肉体から抜けた魂は、本当の自由を知ることになり、名前など忘れるぐらい、晴れやかな気持ちで

そして、現世で気づけなかったことに、たくさん気づくことができたりするようで、こちらで心配する

ことは、何もないのですから(笑) (ただとき時、思い出してあげるだけで良いのです。)


なまじ、肉体を背負っている現世は、いろいろなものに執着しすぎる結果、否定的なのかもしれま

せんね。(笑) 出来れば今から、柔軟な自由な頭を、持ちたいものです。(笑)



              ~ そうすれば、現世にいても、ちゃんと幸せに繋がるのですから!(笑)







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