.
水晶や石たちと関わりの多い私は、時として石に魂が宿るものと遭遇することが度々あります。
それは、神聖なる御霊と呼ばれるものだったり、逆に邪気を含んでいるものだったりします。
今のところ邪気を含んでいる石には、ありがたいことに、お目にかかったことはありません。
しかし、御霊(みたま)と呼ばれる精霊の魂を含んだものには、何度かお目にかかっているのです。
それらはちゃんと行くべきところがあり(お役目があり)、その前に私のところを経て来るようで、
私としては、とてもありがたいことでもあります。
御霊を含んだ石には、ずっしりした重みがあり、しびれが半端なくきます。また赤いオーラのような
ものを発している場合もあります。(オーラのようなもの=見えない光)
また高貴な御霊の場合は、私ごときには、手に持てない場合もあります。
先日も不思議なことがありました。
知人にプレゼントしたはずの石たちが、回りまわって私のところに戻ってきました。
それらを確認すると、その一つに御霊を含んでいる石があったのです。
私が人にプレゼントをする時は、邪気が含まれていないか確認はしますが、必要以上に自分の手
で触ることを避けて差し上げます。その理由のひとつは、私の念というか意思が石に入ってししまう
ことを避けるため、出来るだけ石には何も入り込んでいない状態でお渡しします。
(※必要以上に触ることを避けたため、今回は御霊を含んでいたことに、気づかなかったのです)
持つ人の思想を、石たちに入れ込んで、共鳴することによって、石たちは、その人の役に立って
くれる石となるのです。その為、他の人が使っていた石は、ちゃんとした浄化を施して使う方が
良いのです。(邪気を取る必要もあるのです。)
石は御霊を始め、人や獣の魂が入る込むことが自然と出来てしまうため、取り扱いには十分
配慮しなければいけないのです。
今回の、回り廻って来た石は、もう少しで捨てられてしまう運命だったかも知れません。
運良く私のところに戻ったので、本当に良かったと思いました。
この御霊を含んだ石は、まだその正体は、はっきり分かりませんが、修行の道をたどる
かも知れません。(笑) 又は、大きなお役目を果たすかもしれません。(笑)
今回のこの石は、まだ新しく、誰の手にもされていなくて、(箱からさえも出されたことがなかった
ようです。)知人には必要がなかったというか、そこへ行くべき石ではなかったようです。
その石が、これからどんな道を行こうとも、捨てられてしまうことを考えたら、本当に良かったと
思うだけです。(胸をなでおろしましたから・・・(笑))
もちろん役目を終えた石たちは手放すことも確かにありあります。
しかし、人の役に立ちたいとの石達の思いが無駄にならずにすんだことは本当に良かったのです。
いつも石は、子供のようと思っている私ですから・・・ 知らずに捨てられてしまうのは、忍びない
のですが、行くべきところでない場合も確かにあり、慎重をきすべきと教わった気がします。
そして、ちゃんと石を見極めることも、人を見極めることも大事だと気づかされました。(笑)
.
0 件のコメント:
コメントを投稿