.
時々耳の上あたりから、お経が流れてきます。(笑)
何?それは?と思われるかもしれませんね(笑)
朝起きがけにとか・・・疲れがピークに達している時とかですね。
お経が流れてくることは時々経験しているので、びっくりはしないのです。
これは、何か不安なことやネガティブ感情が支配し始めると、起こることのようです。
無意識レベルで感じるもののようで、実は昨日健康診断に行ってきました。
非結核性抗酸菌症とは、別の一般的な健康診断です。
過去に2度も誤診があり、再検査を何度も受けた経験があり、少しトラウマになっているのでしょう
そのためか妙に、ネガティブな意識が顔を出すようです。
そこにつけ込むように、影の使者が近寄ってくるのです。(笑)
案の定、健康診断の会場に行ってすぐ、受付で保険証のトラブルがあったり、
帰りには、いつも行くお店でランチを・・・と思って行ってみると定休日だったり(笑)
これは一般的に言う「ついていない」ことなのですが・・・
これは完全に、何かに邪魔をされている感覚なのです。
しかし、以前の私なら、怖がっていただけかもしれませんが・・・今は違います!(笑)
ちゃんと、それらを見抜く力がついてきているので、精神的にやられてしまうことがありません。
でも、ちょっと前から、天体が魚座に大集合です。
そのためか、スピリチュアル感覚がゆらゆら揺らぐ感じで、ネガティブ感情が吹き上がったり、
そうかと思うとテンションが上がったりと変化をもたらせます。
それに加え、満月前の作用もあり、体調が微妙に変化する時期でもあり、魚座に天体が集結して
いることを考えると、体調が今ひとつ良くない人も多いのではと思います。
月や宇宙の影響を受けやすい私としても同じなのです。(笑)
耳の聴覚の検査でも異常はなく、ちゃんと聞こえているのですが、普段から耳鳴りがひどい
私なのですが、これは感覚機能が異常に敏感なせいかもしれません。
そこにスピリチュアル要素が関わって来ると、お経が聞こえたり、時にはインドのお経のような
ものが聞こえてきたりもするのです。(笑)
影の使者は、何とかあちらの世界に引きずり込もうと必死なのです。(笑)
不安やネガティブ感情から弱気になったところを狙ってくるのです。
そんなときは、自分の好きなことに没頭すると良いのです。
好きな音楽を聴いたり、好きなドラマや映画をみたり、私は文章を書く事ですっきりしたりするので
そんなことで、ストレス発散や感情をコントロールするといいのです。
決してお経が聞こえてくるからと・・異常に不安になったりするとあちらの思う壺ですから!(笑)
今は、光と影の世界へと分けるための手段をどんどん行ってきているような気がします。
そのため影の使者も必死なのです。(笑)
それらに巻き込まれないように、ちゃんと自分を見失わなければ大丈夫です!
光と影の世界は紙一重の世界なのですから!(笑)
2013年2月21日木曜日
2013年2月19日火曜日
心の視野と器~危険なオーラ
.
人が考え導き出す視野とは、その人の器を表すもので、視野が狭いと、おのずと考え方も狭く
なっていきます。そこに虚栄心が加わると、人から見ると、何ともちっぽけな人間にしか見えなく
なってきてしまい、さらに上乗せされていく嘘が見え隠れしてくると、もうその人を信用することも
尊敬することも、できなくなってきてしまいます。
たとえばこんな人・・・
自分が周りの人のことを、何でも知っておかないと気がすまなかったり、自分中心で物事が
進んで行かないと気がすまなかったり、そう言う人は、偉い人の陰に隠れてピッタリ寄り添い、
あたかもその人と私は同じ考えを持っている・・・かのように振舞う。
しかし、そう言う人の大半は、愚痴が多かったり、噂話が好きだったり、お喋べりが過ぎてしまって
人からは、よく思われていない人が多いのです。
小さな嘘から始まった虚栄心は、さらに加速していくことがあり、その周りの人は、それに振り回
されてしまうことも、しばしばあるかもしれません。
周りがそんな人と気づくまでには、幾分、時間がかかってしまうことが多く、大半は、その人に
振り回されてしまった結果、その人から遠ざかる選択へと向かわせるのです。
当の本人は、そうとは知らずに、人が離れて行くことに気がつかず、逆にそれすらも、自分から
人を離す(切っていく)のだと、錯覚してしまうことがあるのです。
小さな嘘も虚栄心も、天から見たらすべてお見通しで、笑って済まされることがありますが
それらがきっかけとなり、人を知らずに傷つけている場合は、その非ではありません。
そんな人は、心の器が小さく、視野が狭いので、いろいろな人への気配りが出来ないのです。
本人はもちろん、気配りが出来ていると錯覚してしまい、周りが迷惑を被っていることにも
少しも気づかず、平気で自分の世界にどっぷり浸かりながら、しゃべることが多いようです。
そのため、知らず知らずのうちに人を傷つけてしまっているのです。
こういった人は、少なからず、危ないオーラというものを発しています。
危ないオーラとは、嘘や虚栄心から、人を傷つけて行くことに平気になってしまっていく
”心”の現れなのです。
そんな人は、どうしたものかと考えても、それは、本人が自覚し、気がつかなければ、
どうすることもできないのです。
助言をしたところで、反発することが多く、(自分が一番正しいとの思い込みから)
聞き入れてもらうことが、難しいかもしれません。
そう言う人には、少しずつ、距離を置いていく方が良いのかとも思います。
人間の性格は、そうそう変わって行くものではありません。
しかし、視野を広め、柔軟な心を持つことは可能で、誰にでもできることなのです。
せめて、自分が危険なオーラを発する人には、ならないような努力はしていきましょう!(笑)
決して、人を知らず知らずのうちに、心で傷つけることがないようにしていきたいものです!(笑)
~知らず知らずのうちに♪・・・(ダウンタウンブギウギバンドの歌・古すぎ?(笑))
~ 愛することだけは~OKですから!(笑)
.
人が考え導き出す視野とは、その人の器を表すもので、視野が狭いと、おのずと考え方も狭く
なっていきます。そこに虚栄心が加わると、人から見ると、何ともちっぽけな人間にしか見えなく
なってきてしまい、さらに上乗せされていく嘘が見え隠れしてくると、もうその人を信用することも
尊敬することも、できなくなってきてしまいます。
たとえばこんな人・・・
自分が周りの人のことを、何でも知っておかないと気がすまなかったり、自分中心で物事が
進んで行かないと気がすまなかったり、そう言う人は、偉い人の陰に隠れてピッタリ寄り添い、
あたかもその人と私は同じ考えを持っている・・・かのように振舞う。
しかし、そう言う人の大半は、愚痴が多かったり、噂話が好きだったり、お喋べりが過ぎてしまって
人からは、よく思われていない人が多いのです。
小さな嘘から始まった虚栄心は、さらに加速していくことがあり、その周りの人は、それに振り回
されてしまうことも、しばしばあるかもしれません。
周りがそんな人と気づくまでには、幾分、時間がかかってしまうことが多く、大半は、その人に
振り回されてしまった結果、その人から遠ざかる選択へと向かわせるのです。
当の本人は、そうとは知らずに、人が離れて行くことに気がつかず、逆にそれすらも、自分から
人を離す(切っていく)のだと、錯覚してしまうことがあるのです。
小さな嘘も虚栄心も、天から見たらすべてお見通しで、笑って済まされることがありますが
それらがきっかけとなり、人を知らずに傷つけている場合は、その非ではありません。
そんな人は、心の器が小さく、視野が狭いので、いろいろな人への気配りが出来ないのです。
本人はもちろん、気配りが出来ていると錯覚してしまい、周りが迷惑を被っていることにも
少しも気づかず、平気で自分の世界にどっぷり浸かりながら、しゃべることが多いようです。
そのため、知らず知らずのうちに人を傷つけてしまっているのです。
こういった人は、少なからず、危ないオーラというものを発しています。
危ないオーラとは、嘘や虚栄心から、人を傷つけて行くことに平気になってしまっていく
”心”の現れなのです。
そんな人は、どうしたものかと考えても、それは、本人が自覚し、気がつかなければ、
どうすることもできないのです。
助言をしたところで、反発することが多く、(自分が一番正しいとの思い込みから)
聞き入れてもらうことが、難しいかもしれません。
そう言う人には、少しずつ、距離を置いていく方が良いのかとも思います。
人間の性格は、そうそう変わって行くものではありません。
しかし、視野を広め、柔軟な心を持つことは可能で、誰にでもできることなのです。
せめて、自分が危険なオーラを発する人には、ならないような努力はしていきましょう!(笑)
決して、人を知らず知らずのうちに、心で傷つけることがないようにしていきたいものです!(笑)
~知らず知らずのうちに♪・・・(ダウンタウンブギウギバンドの歌・古すぎ?(笑))
~ 愛することだけは~OKですから!(笑)
.
2013年2月15日金曜日
龍の舞うごとく~青龍・白虎・朱雀・玄武と環境学
.
3年前に自宅をリフォームしたことから学んだことがあります。
人が住む家には、環境という大切な、人との関わりがあるということ、その、人が住む家の環境が
良くなければ、人体に影響を及ぼすばかりか、子孫までも影響が出る可能性があるということ・・・。
これはちゃんと宇宙の法則にものっとったことで、少なからず昔から言われている方位や家相など
といった関わりからも考えると、まんざら無視できないことなのだと感じました。
さらに新月や満月が、人の身体に影響を及ぼすという点も、少なからずこの環境と結びつくようで
新月や満月の潮の満ち干き(引力による影響)が、類似している気がします。
リフォームするきっかけは、やはり家族が病気がちになっていったことで、土地や家屋といった
ものとの、何らからの関わりがあると、自分自身で感じ始めたのがきっかけでした。
家の環境を良くして住むことは、風水(環境学)でも重要なポイントとして昔から紹介されています。
土地で言えば四神相応の地が良いとされ、それらの元は”気”の流れが(人や物のエネルギーが
流れること)を重視すべき点としているのもうなずけます。
四神相応の地とは、龍脈と呼ばれる青龍・白虎・朱雀・玄武(東西南北)の中心地を龍穴と呼び
さも良い気が流れている場所となります。
この代表的なものに、京都の地が、この四神相応の地が生かされている場所に、有名なお寺が
多くあります。
しかし、現代の私たちは、そこまで考えて土地を選ぶことは、まず不可能です。
しかし、それらを考慮しながら住む家の環境を整えることは可能で、少しでも良い環境を作りながら
生活していければ、心身のためにもとても良いことでしょう。
ただし、俗に言う、西に黄色などといった単純なことではありません。
少し前から私のホームページ上でも環境学という点で、お花や水晶を家に配置すると良いとする
コラムを書き始めています。(順次もう少し詳しいものを載せていきます。) 住環境学のすすめへ
環境学というと、とても難しいことのように聞こえますが、自分の住む家の中を良い”気”が流れる
場所とすることで、健康的に暮らしやすい住居を創りだすということにも繋がるのです。
住む家は健康の源とは・・・過言では、ないかもしれません!(笑)
自分が生まれた日に~そんな事を考えた榊 瑠璃でした!(笑)
.
3年前に自宅をリフォームしたことから学んだことがあります。
人が住む家には、環境という大切な、人との関わりがあるということ、その、人が住む家の環境が
良くなければ、人体に影響を及ぼすばかりか、子孫までも影響が出る可能性があるということ・・・。
これはちゃんと宇宙の法則にものっとったことで、少なからず昔から言われている方位や家相など
といった関わりからも考えると、まんざら無視できないことなのだと感じました。
さらに新月や満月が、人の身体に影響を及ぼすという点も、少なからずこの環境と結びつくようで
新月や満月の潮の満ち干き(引力による影響)が、類似している気がします。
リフォームするきっかけは、やはり家族が病気がちになっていったことで、土地や家屋といった
ものとの、何らからの関わりがあると、自分自身で感じ始めたのがきっかけでした。
家の環境を良くして住むことは、風水(環境学)でも重要なポイントとして昔から紹介されています。
土地で言えば四神相応の地が良いとされ、それらの元は”気”の流れが(人や物のエネルギーが
流れること)を重視すべき点としているのもうなずけます。
四神相応の地とは、龍脈と呼ばれる青龍・白虎・朱雀・玄武(東西南北)の中心地を龍穴と呼び
さも良い気が流れている場所となります。
この代表的なものに、京都の地が、この四神相応の地が生かされている場所に、有名なお寺が
多くあります。
しかし、現代の私たちは、そこまで考えて土地を選ぶことは、まず不可能です。
しかし、それらを考慮しながら住む家の環境を整えることは可能で、少しでも良い環境を作りながら
生活していければ、心身のためにもとても良いことでしょう。
ただし、俗に言う、西に黄色などといった単純なことではありません。
少し前から私のホームページ上でも環境学という点で、お花や水晶を家に配置すると良いとする
コラムを書き始めています。(順次もう少し詳しいものを載せていきます。) 住環境学のすすめへ
環境学というと、とても難しいことのように聞こえますが、自分の住む家の中を良い”気”が流れる
場所とすることで、健康的に暮らしやすい住居を創りだすということにも繋がるのです。
住む家は健康の源とは・・・過言では、ないかもしれません!(笑)
自分が生まれた日に~そんな事を考えた榊 瑠璃でした!(笑)
.
2013年2月12日火曜日
介護をする家族~その試練とは?
.
高齢社会へと移ゆく中で、家族の介護の難しさが浮き彫りになってきている今日この頃ですが、
両親の年と共に、体が弱り動けなくなっていく様を、家族は見ていきながら、自分もいつかはそう
なるのかと考えながら、介護に励んでいる方も多いと思います。
しかし、お金があれば、施設という選択肢も出てくるのですが・・・
それがその本人のためになるかは別問題です。
認知症を発症してしまった人は、その選択が分からなく、拒否をしたりする可能性もあり
家族を困らせる場合もあります。
逆にお金があるからと、まだまだ元気な人を(認知症を発症していない人)でも介護が必要な人を
施設に入れてしまうことへの疑問です。
重症の介護が必要な人には、家族が皆、働いているならば、仕方ないこともあります。
しかし、本人がまだ自分で頑張れるというほどの時に施設に無理矢理に入れてしまうというケース
もあり、その場合は、本人の意志は、あまり考慮されずに、家族が手がかかるからと入れてしまう
場合は、本人のためにもなりません。
もちろん見る方の家族は大変ですが、今はヘルパーさんを上手に使えば、結構一人暮らしの方
でも自宅で生活できるはずなのです。
逆に重症の介護が必要とする人がいる中で、家族も病気を抱えていながら、介護しているケース
もあります。
ある女性のお話ですが、実の母親と娘をもった女性は、自分も癌の治療をしているそうです。
その母親は認知症が進んでいて目が離せなくなり、娘も精神的疾患を抱えていて仕事には就け
ない状態なのだそうです。その女性も抗ガン剤治療を受けながら、副作用と戦いながらの生活で
すが、一切のヘルパーさんの援助が、昨年4月から打ち切られたというのです。
母親のためのヘルパーさんがそれまでは週3回来ていたそうですが、介護出来る家族と一緒に
生活しているという理由だけで、すべてヘルパーさんを使うことができなくなり、週1回のディー
サービスの利用だけ、それも自宅まで迎えに来てくれるわけでもなく、所定の集合場所に連れて
行かなければいけないとのことで、女性が治療中の時は副作用がひどく、母親の支度をすることも
出来ないほどで、仕方なくディーサービスに行かせることが出来ずに休ませてしまうとのことでした
その話を聞いて、なんと理不尽なことなのだと、憤りを感じました。
行政のしていることの矛盾が浮き彫りになっているようなお話です。
その女性には、もちろん有料の高額な施設に入れてあげるお金もないとのこと、他の施設は
入居待ちが1年以上も・・・とのこと。
しかし、せめて自分の治療中だけでも、ヘルパーさんが来てくれたらと・・・そう言っていました。
抗がん剤の治療の副作用は水も飲めないほど(吐いてしまうほど)の苦しさです。
その母親や娘のために食事を作らなければ行けない苦痛もよくわかります。
政権が代わり、これからを期待すると・・女性は言っていましたが・・・。
このことは、女性にとっても、その家族にとってもとても大きな試練を与えられているのですが・・・
そこから何かを学ばなければいけないことも、確かにあるです。
しかし、その試練に立ち向かう気力も、試されているのかもしれません。
人は、こんな時に、すぐに恨み言を言いたくなります。確かにその通りなのです。
しかし恨み言を言って変えられるものならば、等に変わっていることで、それができないのならば
他の知恵(行動)を考えることも一つの手なのです。
女性にとっても、家族にとっても大きな試練を与えられているのですが、それを乗り越える力を
試されていると考え、女性の病気も吹き飛ばすぐらいの気力で是非、頑張ってほしいものです。
. 神は乗り越えられる試練しか与えない! ~私の好きな言葉の一つです。
※ 宗教的関わりは一切ありません。
.
高齢社会へと移ゆく中で、家族の介護の難しさが浮き彫りになってきている今日この頃ですが、
両親の年と共に、体が弱り動けなくなっていく様を、家族は見ていきながら、自分もいつかはそう
なるのかと考えながら、介護に励んでいる方も多いと思います。
しかし、お金があれば、施設という選択肢も出てくるのですが・・・
それがその本人のためになるかは別問題です。
認知症を発症してしまった人は、その選択が分からなく、拒否をしたりする可能性もあり
家族を困らせる場合もあります。
逆にお金があるからと、まだまだ元気な人を(認知症を発症していない人)でも介護が必要な人を
施設に入れてしまうことへの疑問です。
重症の介護が必要な人には、家族が皆、働いているならば、仕方ないこともあります。
しかし、本人がまだ自分で頑張れるというほどの時に施設に無理矢理に入れてしまうというケース
もあり、その場合は、本人の意志は、あまり考慮されずに、家族が手がかかるからと入れてしまう
場合は、本人のためにもなりません。
もちろん見る方の家族は大変ですが、今はヘルパーさんを上手に使えば、結構一人暮らしの方
でも自宅で生活できるはずなのです。
逆に重症の介護が必要とする人がいる中で、家族も病気を抱えていながら、介護しているケース
もあります。
ある女性のお話ですが、実の母親と娘をもった女性は、自分も癌の治療をしているそうです。
その母親は認知症が進んでいて目が離せなくなり、娘も精神的疾患を抱えていて仕事には就け
ない状態なのだそうです。その女性も抗ガン剤治療を受けながら、副作用と戦いながらの生活で
すが、一切のヘルパーさんの援助が、昨年4月から打ち切られたというのです。
母親のためのヘルパーさんがそれまでは週3回来ていたそうですが、介護出来る家族と一緒に
生活しているという理由だけで、すべてヘルパーさんを使うことができなくなり、週1回のディー
サービスの利用だけ、それも自宅まで迎えに来てくれるわけでもなく、所定の集合場所に連れて
行かなければいけないとのことで、女性が治療中の時は副作用がひどく、母親の支度をすることも
出来ないほどで、仕方なくディーサービスに行かせることが出来ずに休ませてしまうとのことでした
その話を聞いて、なんと理不尽なことなのだと、憤りを感じました。
行政のしていることの矛盾が浮き彫りになっているようなお話です。
その女性には、もちろん有料の高額な施設に入れてあげるお金もないとのこと、他の施設は
入居待ちが1年以上も・・・とのこと。
しかし、せめて自分の治療中だけでも、ヘルパーさんが来てくれたらと・・・そう言っていました。
抗がん剤の治療の副作用は水も飲めないほど(吐いてしまうほど)の苦しさです。
その母親や娘のために食事を作らなければ行けない苦痛もよくわかります。
政権が代わり、これからを期待すると・・女性は言っていましたが・・・。
このことは、女性にとっても、その家族にとってもとても大きな試練を与えられているのですが・・・
そこから何かを学ばなければいけないことも、確かにあるです。
しかし、その試練に立ち向かう気力も、試されているのかもしれません。
人は、こんな時に、すぐに恨み言を言いたくなります。確かにその通りなのです。
しかし恨み言を言って変えられるものならば、等に変わっていることで、それができないのならば
他の知恵(行動)を考えることも一つの手なのです。
女性にとっても、家族にとっても大きな試練を与えられているのですが、それを乗り越える力を
試されていると考え、女性の病気も吹き飛ばすぐらいの気力で是非、頑張ってほしいものです。
. 神は乗り越えられる試練しか与えない! ~私の好きな言葉の一つです。
※ 宗教的関わりは一切ありません。
.
登録:
投稿 (Atom)