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昨日の春分の日を迎え、20日間の充電期間が終わり、精神充電もできました。(笑)
今日からまた新たな気持ちで頑張って行きまのでよろしくお願い致します。
あっという間の20日間で、改めて時間の大切さを知り、また自分の心の中の、新しい思想などを
発見することができました。(見えないものや形のないものなどですが。)
見えないものを発見すると言うことは、言葉に出すのは難しいのですが、確実に自分の心の中の
頑張りとか成長とか普段は感じることができないようなことを、自分を通して再認識するためには
必要で、そのために自分と向き合う期間を設けることが必要な時期があるのです。
そのためには仕事を休むことや、今やっていることから離れてみるのも一つの手で、違う何かを
することによって、自分の違ったものの考えが方が生まれてきたりするのです。
普段忙しさに時を忘れている時には、気づかないものに、気がついたりすることができたので
充電期間が設けられた私は幸せで、仕事をされている方は、なかなか長期のお休みを取るのは
難しいとは思うのですが、それでも少しまとまったお休みがとれる時は、いつもと違うことをして
みたり、いつもは行きそうにない場所に行ってみるといいのです。
そうすることにより、心の中の自分の違った面を発見出来たり、違った考えを持っていることに
気がついたりできるのです。
今年は特にいろいろな意味で新しく変わって行く年で、その新しく変わっていくためには何が、
今、必要なのかをじっくり考えながら進めていかなければいけない時期であり、誰しもがこの先どう
なって行くのかと不安になることが多い中、しっかりと自分を見つめたり、世界を見つめて行く時期
だと思うのです。
急(せ)いては事を仕損じる・・・という言葉もあるように、焦って物事を進めてもろくなことが無いよ!
というように、じっくり腰を据えて考えながら進めて行くことが大事なのだと思うのです。
そんなことで充電期間を頂き、新たなる自分発見もできた今、これからはもっとより充実した
ものの考えや柔軟な考えを元に、占星術 スピリチュアル カウンセラーとして頑張って行きます。
精神的にも新しく生まれ変わった気持ちで、人生の折り返し地点ではありますが、皆さまの開運の
お手伝いができると信じて、非結核性抗酸菌症を抱えながらも、これからも頑張って行きます。
まだまだ頑張る!榊 瑠璃ですから!今後も、どうぞよろしくお願い致します!!(笑)
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2012年3月21日水曜日
2012年3月19日月曜日
不思議な時計
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我が家の私の寝室にある時計のお話です。
今年の2012年1月に入ってからすぐのことです。
昨年の年末ぐらいから、時計の動きがおかしくて、電池切れかなぁ~とほおっておいたのですが、
やはり新年を迎え、これではいけないだろうと電池を変えました。
どこにでもあるようなありふれた丸いフレームが白からアイボリーに変わり・・・(笑)
それは安物だった割には、20年近くもコチコチ時を刻んでいた時計です。
電池を変えながらも、時を正確に刻んでいた時計が、今年に入り電池を変えてもうまく動いてくれ
ないのです。壁に掛けてあるその時計は、電池を変える時以外は触ることは無いので・・・
メンテナンスもしたことが無いので、やはり寿命なのでしょうか?
しかし不思議なことに電池を変えてからも、その時計はちゃんとコチコチ動いてはいるのです。
ちゃんと時は刻んでいて、動いているのですが・・・その動きは非常に遅く・・・。
決してコチコチという動きは止まることは無いのですが、動きが遅いのです。
時間で言うと6時間ぐらい狂ってきているのです。それでも、もう3カ月にもなるのです。
しかし何故だかこの時計を私は外す気がしなくて、今だにコチコチ動いているのを見ているのです。
ふっと思い出すように、この時計を眺めては、何だか自分を見ているような気がするのです。
正確な時を刻んでいない時計は、時計としての役割は果たせなくても、ゆっくり時間をかけても
動くことに意味があるんだよ!と教えてくれている気がするのです。
ともすれば、人間はいつもせわしなく生活に追われて、あっという間に時間が過ぎていることが
多い中、止まることなく、ゆっくり考えながらでも、進んでいければいいんだよ!と思えるように、
教えられているような気がするのです。
忘れてはいけないのは、時と共に動いて行くということなのだと・・・教えてくれている気がします。
人それぞれにペースがあるように、みんなと同じ歩調で歩いて行けないのなら、自分のペースで
しっかり歩んでいければいいのだと、教えてくれているのかもしれません。
今の私の心境も、決して止まることが無いように・・・ゆっくりでも時を刻む時計のようにね!(笑)
今もしっかり動いている不思議な時計は、何かを私に教えてくれているような~気がするのです。
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我が家の私の寝室にある時計のお話です。
今年の2012年1月に入ってからすぐのことです。
昨年の年末ぐらいから、時計の動きがおかしくて、電池切れかなぁ~とほおっておいたのですが、
やはり新年を迎え、これではいけないだろうと電池を変えました。
どこにでもあるようなありふれた丸いフレームが白からアイボリーに変わり・・・(笑)
それは安物だった割には、20年近くもコチコチ時を刻んでいた時計です。
電池を変えながらも、時を正確に刻んでいた時計が、今年に入り電池を変えてもうまく動いてくれ
ないのです。壁に掛けてあるその時計は、電池を変える時以外は触ることは無いので・・・
メンテナンスもしたことが無いので、やはり寿命なのでしょうか?
しかし不思議なことに電池を変えてからも、その時計はちゃんとコチコチ動いてはいるのです。
ちゃんと時は刻んでいて、動いているのですが・・・その動きは非常に遅く・・・。
決してコチコチという動きは止まることは無いのですが、動きが遅いのです。
時間で言うと6時間ぐらい狂ってきているのです。それでも、もう3カ月にもなるのです。
しかし何故だかこの時計を私は外す気がしなくて、今だにコチコチ動いているのを見ているのです。
ふっと思い出すように、この時計を眺めては、何だか自分を見ているような気がするのです。
正確な時を刻んでいない時計は、時計としての役割は果たせなくても、ゆっくり時間をかけても
動くことに意味があるんだよ!と教えてくれている気がするのです。
ともすれば、人間はいつもせわしなく生活に追われて、あっという間に時間が過ぎていることが
多い中、止まることなく、ゆっくり考えながらでも、進んでいければいいんだよ!と思えるように、
教えられているような気がするのです。
忘れてはいけないのは、時と共に動いて行くということなのだと・・・教えてくれている気がします。
人それぞれにペースがあるように、みんなと同じ歩調で歩いて行けないのなら、自分のペースで
しっかり歩んでいければいいのだと、教えてくれているのかもしれません。
今の私の心境も、決して止まることが無いように・・・ゆっくりでも時を刻む時計のようにね!(笑)
今もしっかり動いている不思議な時計は、何かを私に教えてくれているような~気がするのです。
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2012年3月17日土曜日
生みの苦しみ~その先の幸福感
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何かを生み出すことの苦しみは、どんな時にでも人を成長させます。
子供の出産であったり、仕事でのプレゼンやアイディアを出さなければいけない時、頭の中は
生み出すことでいっぱいです。
子供の出産は女性にしか経験できないことですが、痛みを伴いながらも、その時は必死に子供を
産むことを考えて無事に産まれてくることを祈りながらも陣痛に耐えて頑張ります。
仕事での生み出しは、プレゼンやアイディアを生み出すことにも頭を使い、未知なる可能性を広げ
新しい良いものを生み出して行こうとする能力が働きます。
そんな時人は、苦しみながらも、その時だけは「もうダメ!」できないしんどい・・・などといった感情に
襲われながらも、必死で何かを生み出そうと頑張るのです。
その頑張りが、そのあとに訪れる爽快感や達成感に結びついて行くことができるから、
人は頑張れるし、まだまだやれると思える感情が生まれてくるのでしょう。
つまずきながらも生み出そうとするその努力は、決して無駄にはならないのです。
そればかりか、苦しいからと、その場限りの安定を求めると、苦しさは味わうことはなくても、
その先の爽快感や達成感を味わうことができずに、人間としての成長も止めてしまうことにも
なるのです。
人は無意識のうちに、その先のことを察知する能力が備わっているからこそ、難しい困難なことにも
立ち向いながらも生み出そうと頑張れるのだと思うのです。
苦しまずに、生ぬるいお湯に浸かっているような生活は、人を成長させるどころか、どんどん弱体化
を招き老化をも早めてしまいます。
そうならないためにも、どんどん生み出す力と能力を駆使して頑張る姿は、きっと人を惹きつけ、
やれば出来るという自信にもつながります。
人は元々、可能性を秘めた人間なのですから、最大限にその能力を発揮する頑張りを持って
何かを生み出さなければいけない状況下なら、今、すぐに投げ出さずに頑張ってみましょう!
その先の達成感と喜びは、ひとしおならぬ爽快感と幸福感を生み出すに違いないのですから!(笑
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何かを生み出すことの苦しみは、どんな時にでも人を成長させます。
子供の出産であったり、仕事でのプレゼンやアイディアを出さなければいけない時、頭の中は
生み出すことでいっぱいです。
子供の出産は女性にしか経験できないことですが、痛みを伴いながらも、その時は必死に子供を
産むことを考えて無事に産まれてくることを祈りながらも陣痛に耐えて頑張ります。
仕事での生み出しは、プレゼンやアイディアを生み出すことにも頭を使い、未知なる可能性を広げ
新しい良いものを生み出して行こうとする能力が働きます。
そんな時人は、苦しみながらも、その時だけは「もうダメ!」できないしんどい・・・などといった感情に
襲われながらも、必死で何かを生み出そうと頑張るのです。
その頑張りが、そのあとに訪れる爽快感や達成感に結びついて行くことができるから、
人は頑張れるし、まだまだやれると思える感情が生まれてくるのでしょう。
つまずきながらも生み出そうとするその努力は、決して無駄にはならないのです。
そればかりか、苦しいからと、その場限りの安定を求めると、苦しさは味わうことはなくても、
その先の爽快感や達成感を味わうことができずに、人間としての成長も止めてしまうことにも
なるのです。
人は無意識のうちに、その先のことを察知する能力が備わっているからこそ、難しい困難なことにも
立ち向いながらも生み出そうと頑張れるのだと思うのです。
苦しまずに、生ぬるいお湯に浸かっているような生活は、人を成長させるどころか、どんどん弱体化
を招き老化をも早めてしまいます。
そうならないためにも、どんどん生み出す力と能力を駆使して頑張る姿は、きっと人を惹きつけ、
やれば出来るという自信にもつながります。
人は元々、可能性を秘めた人間なのですから、最大限にその能力を発揮する頑張りを持って
何かを生み出さなければいけない状況下なら、今、すぐに投げ出さずに頑張ってみましょう!
その先の達成感と喜びは、ひとしおならぬ爽快感と幸福感を生み出すに違いないのですから!(笑
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2012年3月11日日曜日
. 箱舟に乗せたあなたの想い~今生きるために!
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箱舟に乗って連れて行かれたあなたへ
きっとどこかの遠いところで生きていると
心の中では願わずにいられない
思い出の中の笑顔が消えた日から1年
きっとあなたは箱舟に乗って連れ去られたのだと思いたいのです。
残された命もまたつらい気持でいっぱいだけど
せめてあなたの消えた命が・・・
箱舟に乗って行ってしまったのだと思いたいのです。
箱舟に乗って行ってしまったのだと思いたいのです。
引き潮に悲しみをのせて行ってしまったあなた・・・
無念をのせていたとしても・・・
どこかできっと心安らかに私達を見守ってくれると信じたいのです。
どこかできっと心安らかに私達を見守ってくれると信じたいのです。
そんなあなたを忘れずに・・・今生きている心であなたを忘れない
消えた命の重さをかみしめて
生きる力を振り絞り
負けない自分を取り戻し
きっとこれからの訪れるであろう幸せの道をを目指して
涙は決して止まることは無いけれど
これからの命の道を
歩みを止めないで生きると誓いたい
箱舟に乗って行ってしまったあなただけれど
そっとどこかの遠い国で見守っていてくれるとそう信じて・・・
強くなれる自分を信じて!
. ~ポエム 榊 瑠璃 ~
震災から今日で1年が過ぎた今も、きっと心の傷は癒えるどころか悲しみが募る思いたと思います。
しかし被災された方々が悲しみを乗り越えて、これからの道を前を向いて生きて行かれることを
心から願い書いたポエムです。
何もできない私だけれど・・・心を支える手はいつも、どこにでもあると信じてほしいのです。
*今回は新月の月1回のポエム以外のものです。
何もできない私だけれど・・・心を支える手はいつも、どこにでもあると信じてほしいのです。
*今回は新月の月1回のポエム以外のものです。
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