2014年5月4日日曜日

最愛の人(亡き人)を胸に~口ずさむ歌でありたい

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先日、曲を作成して載せたのですが、その内容についてもう少し詳しくお話しておこうと思います。


私の周りやご相談の中に多い内容に、亡くなった主人の事が忘れられなくて、さみしい・・という人

が多く、また死が怖い(自分が死ぬときのこをと思うと)という方がいらっしゃいます。


誰でも、今生きている状態で、元気だったり、(病気や怪我などしていない状態)の時には、考えも

しないことなのですが、年とともに老いてくると、だんだん死という現実が近づくと共に、最愛の人を

亡くした悲しみと死への恐怖をいっぺんに味わってしまう人もいらっしゃいます。



そんな時私は、死後の世界について、お話を少しして、その恐怖を無くして、前向きに生きるために

どうしたら良いかを一緒に考えることにしています。


今ある肉体は、借り物の器で、その器の中には、心(魂)が存在しています。人間の本質は、

どうなっているのかは、肉体、精神(頭・思考)、心(魂)から出来ていて、人が死ぬということは、

肉体が滅び、心臓が停止し、脳が働かなくなってしまうことを言い、心(魂)だけが、ふるさとに

帰って行くとことで、その魂は、永遠に生き続ける、すなわち、肉体が滅びても、魂だけが残る

ため、人は、永遠に生きているのです。


ふるさとと呼びましたが、これは、宇宙であり、あの世であり、神の元に帰ると、呼び方はそれぞれ

お考えになっていただければと思います。


人が肉体を捨てても、魂が残り、ふるさとに帰る、そこでは、自由で痛みや悲しみや寂しさのない

ところで、ひとりでさみしいということはありません。


肉体を無くした魂は、思考だけは残り、記憶としても残りますが、一切の怨みや妬みといった

マイナスな思考は消えてしまいます。

だから、決して、死んでからも、恨むということが無いのです。


そこで、亡くなった人(最愛の人を亡くす)悲しみに毎日がつらい・・・とおっしやる人には、ご自分が

死んだ時には、その人とまた会える世界に行けることをお話しします。


そして、逆につらいからと、毎日泣いて過ごしていては、かえって、その最愛の人が、逆に悲しみ

そのつらさを自分のことのように、考えてしまい、自由な世界のふるさとへ帰ることを、足止めして

しまう形にもなってしまうのです。(後ろ髪を引かれる思い、とでも言えるでしょうか・・。)

そんなことになってしまうと、自由なふるさとへ帰りづらくなってしまい、なかなか帰れない状態に

なってしまい、浮遊してしまうのです。


ですから、悲しんでばかりいるのではなく、思い出に浸りながらも、またいつか、そのふるさとで

会えると信じて欲しいのです。(一緒に居られる日が来る)


思い出すことは、楽しかったことを共有する形で、笑って語り合う事が望ましいのです。(お墓で)


悲しい、つらいという思いは、肉体という器を背負っているからこその感情に、ほかなりませんが、

そのつらさを乗り越える事が、成長へとつながり、自分自身の強さになっていくのですから、

最愛の人が亡くなって悲しみに暮れるのではなく、魂はいつも寄り添っていてくれる、そんな気持

ちで、残された自分と一緒に楽しいことを共有して、毎日を楽しく前向きに過ごすことが、亡くなった

最愛の人にとっても、良いことになり、また、会える日に、語り合える時には、また、さらに楽しい

思い出として、一緒に語って欲しいと思うのです。



そんな思いを込めて…曲を作りました。         (もう一度逢いたい~私の愛)


作詞の方は、いつものポエムより、分かりやすく、簡単な詞になりましたが、心にすーっと入って

行けるような詞を心がけ、こうなりました。(笑)


最愛の人を思い出しながら、(楽しかった思い出と共に)口ずさんでいただければと思います。(笑)







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