2014年4月3日木曜日

生と死を見つめて

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人というのは、この世に生を受けて生まれてきて、ある一定の期間しか生きられないことは、

全ての人が、じゅうじゅう承知していることで、その期間が、どのくらいなのか分からないけれど、

その生きている期間で、どれぐらいの学びを得られるかによって、魂が宇宙に帰って行くときには、

その経験により、レベルが違ってくると言われています。



人の死もまた様々で、その死に方は千差万別ですが、魂が宇宙に帰る時は、本人の知らない

無意識での準備が始まります。


病気であれ、事故であれ、老衰であれ、その準備は、知らず知らずに進められていて、意識的に

分かるものではありませんが、時どき、ふっと、人の死を感じてしまうことがあるのですが、これは

私だけに限らず、人間の本能で感じるようです。



人間の本来の機能として、直感や、何かを感じとる気配というのは、もともと持っている機能で、

決して珍しいものではありません。


特に人の死を感じる時に働くテレバシーによって、遠くの人の気配を感じとったりする機能は、

決して特別な機能では無くて、誰もが持ち備わっているのですが、それらの機能を持ち合わせて

いること自体を忘れてしまっている、私達なのです。



生まれて来る目的も、ちゃんと本当は分かっているはずなのですが、忘れてしまっていて、思い出

すことがなかなか出来ずに、本来の生まれて来た目的と何を学ぶのかを忘れているだけなのです



最近では、それらの本当の自分の目的を自覚し、分かり始めている人も多くなって来ています。

しかし、まだまだ、前世を知りたがる人も多く、それは、今、生きている学びを、認識出来れば良い

はずなのなのですから、特別な事情がない限り、前世を知ることは無意味だと私は考えます。


この世に生まれ、生きている期間が決まっているのなら、どれだけ多くの学びを得られるかが重要

で、死んでゆく準備が、無意識のうちに始まっていたとしても、自分だけでは無く、周りの人の学び

にも関わるものなら、そのギリギリの最後まで、しっかり人間の目的を果たしたいものです。



人の死を見つめるとき、その見つめていることからも、学びがあるのですから、決して逃げない

姿勢(死んでいく人を見るのが嫌な人がいます。)が大事なのです。


魂は、ふるさとに帰るだけなのですから、決して悲しいことではないのです。


誰でもが来る、いつとは言えない、無意識で死を迎える準備が始まるまで、死にゆく事など考えず


せめて、生きている間は、精一杯悔いのないように、生活していきましょう!!(笑)

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