2012年4月15日日曜日

人の未来設計

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若い頃は考えもしなかった自分が亡くなる時のこと・・・


講師時代の生徒さんの1人だった方と、今も交流があるのですが、その方はゆうに60歳を超えて

いらっしゃるのですが、昨日その方にお会いしてお話をしたのですが・・・。


その方が昨日おしゃった事は、「遺産はどこまでの血縁が受け取れるのでしょう」というのです。

もちろん私はその道のプロではないので、知っている知識でのお話をしたのですが、その知人は

自分には、近い血縁関係が皆もう亡くなっているので、自分の事を何らかの形できちっと意思表示

をしておかなければいけないのでしょう・・・とおっしゃるのです。



それは遺言とい事を指していることは明快なのですが、お話をうかがっている間、自分の遠い

血縁関係の中に、嫌な人もいるので、その方に行くのは耐えがたい・・・という内容でした。



その知人は一番近い血縁関係にある方々が亡くなっているので、先々の事を心配されて、そのよう

にお話しされたようですが、まだまだ60歳過ぎ・・そんなことを考えることは早いととは思いましたが

親兄弟もいない自分には、やはり先々のことを考えておく必要があるのだというのです。



今は甥っ子のお嫁さんが近くに住んでいらっしゃるので、何かと頼る事が多いそうですが、実は

血縁のある甥っ子さんは病気で早くに亡くなっていて・・・言うなれば赤の他人のその甥っ子の

お嫁さんに世話になっているとのことなのです。


こういう問題は実際に関わっている人にしか分からない感情の表れがあります。


知人は、その甥っ子さんのお嫁さんには、金銭的な面からも援助をしたりしているようですが

自分が病気の時は、こちらから頼まなければ、「大丈夫?」と声を掛けてこない・・・というのです

もちろんこちらからいろいろ言って手伝ったりしてもらうことも多いようですが・・・


人はどうしても自分が1人と感じてしまうと、さみしさからも手伝って何かをしてあげるかわりにと

見返りを求めてしまうのです。


本来は人に何かを尽くす時、見返りは求めないようにする方がいいのですが、そこは人間の

儚い感情がてつだって、これだけしてあげたのだから、このぐらいはしてほしい・・・と見返りを

求めてしまうのです。それはいかし方ないことなのですが、(私たちは仏様ではないのですから・・)

しかし見返りを求めて何かをすると、人はなぜか傷つく感情に襲われてしまうのです。



これは煩悩がない限りついて回る感情なのです。そこをいかに自分の感情が傷つかないように

人と接していけるかは、やはり自分の努力でしか解決は出来ないのです。



頼る人が近くにいない知人にはそのお嫁さんが唯一の頼り所ならばそれを基本に考え、どんな時

も最後までそのお嫁さんに看取ってもらうだけの覚悟を、こちらもしていかなければ、信頼関係も

気薄になりなかなか良い関係にはならないと思うのです。


見返りを求めない奉仕とは、なかなかできるものではありません。きれい事を言っていても、どこか

赤の他人という枠を超えることは難しいでしょう。

血縁関係があってもうまくいかないケースもたくさんあるのですから・・・。




もちろん先々の事を考えていろいろ準備するのもいいでしょう。しかしそこにいたるまでは、打算の

ない人付き合いを心がけて人を信じて行くことこそが、信頼関係を築いていく基本となるように思い

ます。人に依存しない、見返りを求めない、そんな心を持っていなければ自分が傷つくのですから!



最近病気がちのその知人は少し気弱になっているのでしょうが・・・まだまだ頑張れる!と気持ち

だけはいつまでも持っていてほしいものです。


先のことは誰にも、どうなるかなどとは、分からないからこそ準備をしたい気持ちも分かります。


けれど今生きている自分と、人との関わりを大事に生きて行く方が大事なのではないでしょうか?















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