2012年1月18日水曜日

善と悪

.
この世の中に情報が氾濫している現在に、何を持って善と悪を見極めることができるのか?

そんな問いかけに考えてみました。


悪と分かっていても、生活のためとか、会社の方針とか、理由はそれぞれあるのだろうと思います。

しかし、そこで考えるべきことは、人間にとっての本当の善と悪とはどのようなものなのでしょうか?


人は、悪と分かっていてもどうしようもなく、動かなければいけない時もあります。


それは、自分にとっても、人を騙すようなことをしていると、分かってやってしまっている時、

そこには決して良い感情で動いているのではないのです。しかし、それが人間の弱いところでも

あり、仕方無いこととして、かたずけられない感情があるのです。



これは、人によっての価値観が違うように、どこからどこまでが善で、どこからどこまでが悪という

線引きも無い代わりに、それは持って生まれた人間としての本質がどの程度のものなのかによって

違ってくるもので、ある人には、これは悪いことだといい、ある人はここまでなら許せる、悪いことと

いうように、同じようには決めつけられないのものなのです。


特に、今の世の中は情報が氾濫にしていることにつけ、ネットなどで自由に書き込みができたり、

ツイッターのように短いけれど、自分を主張もできたり、非難する事も出来る時代。

本当のことが、どれなのか、分りずらい時代とも言えるのです。



そこから、どのようにして、善と悪を見抜くかは、やはり、人間の本来持っている能力を、

十分信じて、個々で判断することでしか、ないように思います。


人としての善と悪には、筋道を通せるか・・・そんな基本的なことが大事なことのように感じます。


自分で気付かない悪という事もあるのです。しかし、それはいつしか自分へと返ってくることなので

痛い目をみて初めて、気がつく人もいることでしょう。



もし、悪に身を置いているかどうか分からない時は、廻りの人を見渡してみてはいかがでしょうか?

同じような人間は、必ず自分の身近な所に居るものなのです。


もし、それに気づくことがあれば、きっと悪からの誘いを、自分からはねのけるだけの勇気が

持てるはずなのです。それが、本当の悪を見抜くという事なのではないでしょうか?


しかし、そうは言っても人間は弱いものなのです。


せめて善人にならなくても、人の痛みのわかる人間でありたいと思いますよね。


善と悪を見極めるのは難しいからこそ、自分の信念をしっかり持ちたいものです。


決して自ら悪へと流されることの無いように・・・。


自分の心と向き合う余裕を、いつも持ちたいものですね!











.

0 件のコメント:

コメントを投稿