2012年7月2日月曜日

意思の疎通と謙虚さ

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 誰でも、人の感情と話し方で、他の人との意思の疎通が図れない時があると思います。


そんな時はとても悲しくなったり、落ち込んだりすることもあり、やりきれなさでいっぱいになって

しまうこともあると思います。しかしそれだけでは無く、人はその時々で、同じ波動から外れて

いく場合があり、こちらは変わっていると自覚が無く、うまく話しが出来ないだけなのか、同じ話題

を同じ視点で考えられなくなくなっているにすぎないだけなのかと、思うだけなのです。



たとえば・・・


長年何十年来の友達として親しい間柄でも、ある時1人が転勤などでしばらく会えない日が

あって久しぶりに会った友達は別人のように思えてしまう時・・・

そんな時は、昔のあの優しかったあの人はどこに行ってしまったの?と思えてしまう時・・・。


そんな時は、相手が変わってしまっただけでは無く、自分も変わってしまっているのです。


それは、良い意味で言えば友達は、各地の転勤先でいろいろな人にもまれながら、苦労していた

のかもしれません。優しい気持ちより、自分を大事にしてしまう気持ちが無意識に働き、人を思い

やる気持がどこかに消えてしまい、日々の生活に追われているだけの生活からそうなってしまった

とも考えられます。


しかし自分は、生活に苦労はしながらも、それでも人のことをまず考えて、行動できていたならば

それは、人を思いやる気持ちが大きく成長して、その友達との間が差となって現れて来たのです。


しかし懐かしい友達を前にしては、変わらない昔のままの人物像を勝手に思い描いているだけで

話をしていても意思の疎通がはかれず、なぜそういう風に考えるのか?と逆に疑問が出てしまい

同じ話題を共有できなくなってしまい、この人は変わってしまったのだと思いこむのです。


すくなからず自分も変わってしまっていることには、気がつかないのです。


人は、数日で傲慢になったりもします。それは、こうあるべきという思い込みからその人の思考が

変わってきてしまうもので、それが悪く働く時には、人に不快な感情を与えてしまったりする場合が

あり、それでもそれに気がつけば、まだ救われるのですが、そのまま気がつかずに行ってしまう

場合は、どうしようもありません。そんな時は人から変わってしまった・・と捉えられてしまうのです。



自分の意思を持つことは大事ですが、謙虚な気持ちが薄れて行く先には、友達を無くして

しまうことにもなりかねないのです。




人の波長は、その都度変わって行きます。しかし謙虚な気持ちをいつも持つことで、その波動に

あった人との出会いが生まれます。しかし波動がずれて長年の友達を失うほど、辛い思いも

無いものです。


そうならないためにも、自分の意思は持ちながらも、日々謙虚に生きて行きながら

日々成長していければ、それはとても良いことですよね。


そうすれば、人と人との繋がりは、ずっと続けて行けるものなのではないでしょうか!










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