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人は過ぎてしまった出来事を忘れるわけには行かないと、必死で想いを巡られせながら思い出し
これから先の人生に同じことが繰り返されないようにと願い、想いを募らせるのでしょう。
終戦日の今日は、思い思いに心の傷を負った人たちが、今の世代の人達に忘れてはいけないと、
語り継がれていく中で、実際に経験した人たちが少なくなっていく事実があります。
私も戦争を経験している訳ではないので、本当のところ戦争の辛さや悲惨さを知らない中で
実際の痛みなどは分かりません。しかしその時の若い世代にとっては、青春も犠牲になったと
聞けば胸も痛みます。
同じ人間同士が戦争という形でいがみ合いをするのか分からない中、日本の幕末の話の中でも
同じ日本人同士がいがみ合い戦争をしていたことへの素朴な疑問として「なぜ?」に尽きるのです
人の思考回路は様々なパターンが存在し、どこか人間の本来のエゴで自分の考えが一番正しい
と思いこむ癖のようなものがあるように思います。
受け入れる器が小さければ小さいほど、水を注げばすぐに溢れてしまうのと同じように、自分の
思考の受け皿が小さいと受け入れられない感情として溢れてしまうのです。
その溢れてしまった感情は怒りという形に変わり、自分を守る本能へと変わり、人を傷つける
行為に及ぶのではないでしょうか?
たとえば、夫婦や恋人などの、たわいもないケンカでも、どんどんエスカレートしていくのは、
その溢れた感情が自分が一番正しいという考えのエゴからくるものだと認識が持てれば、
自分自身を抑えて行くことが出来るようになるのではないのでしょうか?
それが出来ないため、他の人を巻き添えにして、ケンカが始まるり拡大してしまう・・・。
人の感情レベルを高次に持っていくことは、これからも必要で、しかしなかなかそれがうまく進め
られない現実があり、時として悲劇を生むのでしょう。
しかし、これからも、1人1人が意識レベルを上げていく努力は必要で、必要ならば頭を下げら
れることが、自然に出来る人になりたいものです。
自分を抑えるだけが良いのではありませんが、悲劇を回避するための行為ならば、頭を下げる
ことの価値も違ったものになるのではないでしょうか?
私たちの小さな幸せは、個々の思考回路が握っているといっても過言ではないはずです。
簡単に言ってしまうと、1人1人が柔軟な考えが出来る思考回路にしていくことが必要で、
それには少しだけ努力が必要だと言うことです。
意識的に、器を大きくしていく努力をしていきましょう!(笑)
それが、皆の幸せに繋がると思えれば、決して苦にならないはずですから!(笑)
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